2007年3月15日木曜日

(書評)靖国問題



(2005年10月17日にLivedoor Blogに掲載したものを再掲)

小泉首相がまた靖国神社を参拝した。首相就任以来5回目だそうだ。
この夏は靖国に関する色々な著書を読んだ。この本もその一つだ。

私達の世代は靖国の成り立ちなどについてあまりよく理解していない。
直接よく知っている親族で祀られている人がいるわけでもない。
だから、ホリエモンではないが私も一度も参拝したことはない。

ただ、なんとなく違和感を感じるのは先の戦争で犠牲になった人々
(英霊というのか)に対する感謝の気持ちや二度と戦争を起こしては
いけないという素朴な気持ちと、戦争犠牲者をご神体として信仰の対
象とすることは別なのではないかということだ。ましてその祀られて
いる人達の国籍・信仰する宗教において本人や遺族の意思を曲げて強
引に合祀しているとなるとそれは一体誰のためのものかということに
なる。

色々な書籍を読んでわかったことは靖国は「先の戦争を称揚し、国家
による国民の徴用は正しかった。だから遺族はそれを家族を失ったこ
とを悲しむべきではない。むしろ誇りに思うべきなのだ」と広くアナ
ウンスするための「装置」だということだ。以前は国家のバックアッ
プを受けた唯一の宗教的鎮撫・国威発揚装置なのだ。

とすればこの「装置」を精神のよりどころとして必要とする人達は今
となってはごく一部となるであろう。そして、この装置はその成り立
ちから言って小泉首相の言う「不戦の誓い」をする場所としてはおよ
そふさわしくない場所ということが瞭然となるのである。

私は戦争の時代を行きぬいた先祖に深い敬意と感謝の意を持っている。
しかし、私がその気持ちを伝えるのは靖国でではなく、お墓参りの時
であり折々に思い出す彼らの面影に対してであるのだ。そして私はそ
ういう人は現代の日本人においては少なくないのではないかと思うの
だ。

何がしかの信念があってやっていることをあえて否定はしない。しか
し、それが正しい知識・理解に基づいて行われており、かつ不必要に
周囲と摩擦を起こさないことが前提となるだろうと考える。

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