2007年3月20日火曜日

憲法改正問題と皇室女系問題、そして靖国問題

(2005年11月22日 Livedoor Blogより再掲)

以下、あえて「祭」られる危険性を覚悟でタブーに触れる。

私は常々皇室というのは現在の日本国憲法の精神を純粋に希求し、体現することを国民に身をもって訴えることに大きな存在意義があるのだと受け止めている。また皇族の方々もそれが自らの使命だと考えていると(大変勝手ながら)思う。

だからこそ平和を希求し、国民が健康でおだやかな生活を営むことを趣旨とする各種式典に参加しているのだと。

だからこそ、多くの税金から皇室費用を捻出し、世俗から一種隔離してでも純粋に憲法の理念を追求する理想的な日本国民の象徴(モデル)としての生活を送っていただいているのであろうと。又そうあることが国民の間で一定のコンセンサスを得ているのも、国民は日々の生活に追われて必ずしも憲法の理念を追求する生活は送ることはできないが、皇室に理想を投影し皆で自然とその存在を称えるているからなのだと。でなければ戦後世代が圧倒的になった現代において、英国王室のようにゴシップにまみれることなく国民から深い敬意と共に親しまれていることの説明ができない。(私は皇室に対してとりわけ深い思い入れがあるわけではないことを断っておく。ゆえに、客観的にこの文章を書いているつもりであり、またそうだからこそある方面の人々からすると配慮なく淡々と書きすぎているように見えるかもしれない。)

その姿勢から垣間見えるポリシーの中で最も強いものは、戦争の永久放棄なのではないだろうか。そしてそれは先代の天皇陛下に暗黙裡に課された太平洋戦争に関する戦争責任故であるような気がしてならない。皇室は明示的には「お言葉」を出さないが、その(日本国憲法の理念を純粋に追求する)姿勢を以ってある種の贖罪を続けているような気がするのだ。

このように考えると表題の3つの論点にある種の方向性が生まれる。

まずは憲法改正問題だが、国際貢献や集団的自衛権の観点から憲法9条問題が多く取り上げられる。それはそれでいい。しかし、現行の日本国憲法の理念を純粋に体現し希求するという姿勢をとっている皇室に対して、誰がポリシーの変更を説明し、納得させることができるのだろうか。そこに皇室の意思はまったく反映されなくてもいいのだろうか?憲法改正は皇室のあり方、行動規範を変えることを意味しないのだろうか?
私はこの点に非常に違和感を感じる。ある種、贖罪にも見えるストイックな理念の体現姿勢にも関わらず、「憲法を改正しましたから、今後は自衛隊の国際派遣式典においてもお言葉を頂戴し、激励していただきたい」と誰かが言ったら皇室は納得するであろうか。

実効性はともかく、世界中で一切の戦争行為を放棄するということを理念として掲げる国があってもいいのではないか?お国のためには生命を投げ出すことも尊い、他国の領土や人の生命を奪うことも大義がある、そういう異常な状態を肯定してしまう恐ろしさがあるからこそ、戦争は否定されるべきだし、日本はそれを声高に主張し続ける権利と義務を持った数少ない国ではないか?皇室は行動を通してそうしたメッセージを発信し続けているのではないか。そう考えると安易に改憲論を進めることはどうかと考える。

次に女系天皇を容認するかということだが、少なからぬ人々が万世一系の男系皇統を絶やすべきではないと言う。これにも疑問を感じる。シャーマンあるいは神格化されることが皇室の機能であった時代には遺伝子の継承たる男系の維持には意味があったかもしれない。しかし、今の皇室はそういう存在ではない。歴史的にも本当に万世一系であったかどうかも証明はできないし、実際の系譜には女性天皇の時代も何度もあった。今更神話的な皇統の系譜を形式的に維持することに何の意味があるのか。前述のように、現在の皇室は国民統合の象徴(モデル)であって、その意味では国民が皇室を自ら、および日本国民全体のモデルであると思える限りにおいてはそれが男系であろうと女系であろうと機能的には際立った差異はないように思え
る。

最後に靖国問題だが、すべては現在、皇室が靖国参拝を行っていないという明確な事実に帰結すると思う。
私の考えが正しければ、現在の靖国神社というものの位置づけが日本国憲法の理念にそぐわない存在であるとみなしているからこそ、理念の体現者たる皇室は参拝できないのではないだろうか。もちろん、皇室も宮内庁もこれを明示的なメッセージで発信はしない。しかし、そう考えるととてもクリアにその行動が理解できる。確かに靖国は戊辰戦争以降、国のため(正確には皇室側としての国なので、戊辰戦争時に幕府側の戦死者だった人は逆賊として祀られていない)に命をなげうった人を祀った場所であり、本来ならばその精神の因って立つところの皇室が参拝しないのはおかしな話である。ではなぜ?と考えると、やはり皇室が現行憲法の精神をその行動原理として自らに課しており、その規範たる憲法と靖国の理念は並存しえないものであると皇室が考えているからに他ならないと思うのだ。

近い将来、憲法が改正されて海外における一定の武力行使が認められたとしよう。また、その戦闘で戦死した自衛隊員?が(本人の意思に沿うか反するかはともかく)靖国神社に祀られたとしよう。天皇陛下や皇室は靖国に参拝するであろうか。私はおそらくしないと思う。そういう静かな自己主張があると今の皇室を見ていると思うのである。

皇室の深い思い、苦悩すべてを伺うことは到底できないが、今、議論になっていることを日本人としてどうとらえるべきかを考える時、皇室の姿勢と日本国憲法の理念の関わりはある種の解をわれわれに示唆しているように思えるのだが、どうであろうか。

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