2007年3月18日日曜日

(書評)白州次郎

当時のGHQの動きとか白州次郎その他の人の回顧録を読むと日本国憲法というのはまったく専門外の人間が英文で草稿し、それをやっつけ仕事で翻訳したものであることを知って、なんだかなあと思っていた。

今、この国が憲法改正に向かおうとしているが「基本」を押さえておかないと、つまらん右だ左だのイデオロギー論や海外世論に振り回されることになりそうだ。自分の国の憲法がどうあるべきか自分なりのスタンスは構築しておきたいと思う。

恣意的に運用されるような憲法ならば、きっちり作り直したほうが曖昧さがなくていい。

しかし、最初にこの書評を書いた後、ずいぶん白州次郎ブームになったようだ。
なんでこういう潔く、生き方がカッコいいとされる男が歴史の表舞台からほとんど記述を削除されて
いたのか?そこには何か意味があるのだろうか。アメリカのマークが外れたとか?





0 件のコメント: