2007年3月26日月曜日

(レビュー)BEST OF TOKYO SKA 1998-2007



Wikipediaでスカパラの項を読みながら思い出したこと。

最初にスカパラを聞こうと思ったのは丁度就職した17~18年前位かなあ。新入社員時代に意味もなくもやもやしている時に何かの雑誌で渡辺満里奈が「オザケンとスカパラは聞くと意味もなく元気が出る」とインタビューで答えているのを読んだのがきっかけだった。(オザケン・・・懐かしいなあ)

それ以来、「意味もなく」元気をもらっている。当時はスカなんてジャンルは知らんかったけど、結局その後トリニダート・ドバコのソカとか、ソンとか中南米系リズムに入っていくきっかけはスカパラだった。

もうこっちも40代になって、スカパラも色々とあってお互い頑張ってきたよねという同志にも似た感情さえ最近では湧いてくるわけだが、またこのBest Albumでフガフガ言ってテンション上げて行こう!って思ったんだ。

Miele(ミーレ) Blue Lagoon 掃除機(商品レビュー) 



マーケティング的な流行はDyson(ダイソン)のようだ。「吸引力の衰えない唯ひとつの掃除機」と言っている。

しかし、比較検討の結果、我が家はミーレにした。渋谷の道玄坂上のショールームにも行ってじっくり説明も聞いたが、ミーレは

1)Dysonと同様にやはり吸引力が衰えることがない。(ミーレは宣伝していないが)

2)フィルターろ過後の排気が上に出るので、他社製品と違って床表面を気流でかき乱して掃除が終わった頃にホコリが床に舞い降りてくるということがない。(同じく自宅で利用しているダイキンの空気清浄機フラッシュクリエールとの高い相乗効果が期待できる。

3)別売のフィルターが機能に応じて選べ、かつ高機能である。

4)種類が沢山あるが(Cats&Dogs他)、基本構造は皆、一緒なので後からアタッチメントをつけると用途に応じて機能強化が簡単だ。

5)通販生活が独自レビューの結果から昔より掃除機の推奨商品にしている。

ということで勝ち残った。

正直言って、手元ホースの取り回し安さなどは国産のほうが気が利いているのだが、ここは掃除機という原点をどこまで愚直に追求しているか?機能拡張が柔軟にできるか?流行(ハヤリ)に左右されない造りになっているか?で判断した。

もう半年近く使ってみているが、いい買い物をしたと非常に満足している。オススメである。
  
(参考)Dyson

2007年3月25日日曜日

(書評)『テレビCM崩壊 マス広告の終焉と動き始めたマーケティング2.0』

(2006年7月30日 Livedoor Blogより再掲)

面白かったというよりは、このブログで昨年秋に既に書いたことが追認されたということか。「ウェブ進化論」もしかり。

「Web2.0」や「通信と放送の融合」と呼ばれるものは詰まるところ広告宣伝費の分捕りあいに他ならず、そのための個人消費者属性情報をいかに効率良く収集するかというビジネスモデル狂騒、もとい競争なのだ。

お時間のある方は過去のエントリーを参考にされたい。

(書評)馳星周 著作

おそらく馳星周の作品群は書評するのが難しい部類だと思う。面白いが、作品ごとの個体差がない。

名前とキャラが強烈に残るのは「不夜城」「鎮魂歌」「長恨歌」シリーズの劉健一くらいで、残りの作品は劉を越えられないキャラが大して代わり映えのしないストーリーのもとでダラダラと社会の底辺でうごめくだけの作品群が最近まで続いている。

「蛇頭」「黒社会」「マフィア」「密入国」「薬(ヘロイン・シャブ)」「銃」「SM」「同性愛」「同郷」「フェチ」「在日二世」「ヒモ」「ヒモにたかられる女」「ドロップアウト」「悪徳警官」といったキーワードで構成される登場人物数名を「歌舞伎町」「錦糸町」「台湾」「香港」「バンクーバー」を舞台にヤったり、ヤラレたり、殴ったり、殴られたり、殺したり、殺されたりしているのが馳星周ワールドである。

馳はこのロンドを立て続けにやると飽きられるので適度な感覚で再生産して発表している。もともと稀代の「読み手」「書評家」として売り出してきた彼のことである。おそらく自分がそういうシステムでやっていることをとっくの昔に意識していることであろう。

私は彼に期待しているから作品を買い続けている。わかった上で。でも付き合えない人は不夜城三部作だけ
でいい印象だけ持っておきましょうね。





米国産輸入牛肉

(2006年1月30日 Livedoor Blogより再掲)

既に出回っている730万トンについて

・追跡調査の必要はない
・そちらは安全性に問題ない

という二つのポイントを政府が自信を持っていえる理由はなんだ?

たまたま抜き出した箱に明確にわかる骨そのものがあったのだろう。たまたま抜き出さなかった分になぜ混入していないと言えるのか?「日本向けの牛肉にそんな規制がかかっているとは知らなかった」と
米国の検査官が言っているのに危険部位が混入していないとなぜ言えるのか?

しばらく外食で肉は食べられない。

皇室問題は「人権」問題ではなのか?

(2006年1月29日 Livedoor Blogより再掲)

今国会で提出される皇室典範改正問題だが、突き詰めるとこの問題は皇室にいわゆる「人権」があるかどうかということに他ならない。

伝統を重んじればその重さに犠牲になる人がいる。普通に考えて男系だけでひとつの家系がこれほど長く保たれると生物学的にも通常はない。そこには人の意思を無視し、皇統を保つという「意志」に基づいた人権侵害が継続的にあったと思ってよいはず。

昔はそれでもよかった。天皇はいわゆる「人」ではなかったのだから。伝統に順ずることも「人」ならぬ「やんごとなきお方」としては耐え忍ぶ必要もあったであろう。

しかし・・・・

皇室典範擁護派の中には「皇統はGHQも不可侵であった貴重な伝統です」という幸せな意見を展開している人もいるが、GHQは「天皇家を人にする」しかも、天皇陛下自らに「人間宣言」をさせるという、それまでの
皇統という伝統の価値を無価値にし、そこに人権問題を持ち込むという大きな時限爆弾を埋め込んだ。この意味をわからずしてこの問題を論ずることはできない。

もう皇室は「人」という価値に基づいた「装置」なのである。したがってすべての皇室問題は人権に配慮した形で進められなければならぬ。

今、男系天皇しか認められぬと主張する人たちよ。あなたたちはなんたる権限を持って「人たらんとする現皇族」にそれを強制し、求めるのか?それとも皇族はいまだ伝統のみに支配され人間宣言をしながらも人権を認めることのできない種族であると主張するのか?

監査法人の監査は誰がやるのか?

(2006年1月24日 Livedoor Blogより再掲)

しゃれではないが表題のような疑問が日本でも出てくる時代になった。

アメリカでエンロン、ワールドコム問題を契機に内部統制に関する法律(サーベンス・オクスレー法:SOX法)ができ、日本でも2008年3月から日本版SOX法(J-SOX法)が施行される予定になっている。

日本でのJ-SOXへの関心はいままで今ひとつだったが、これからおおいに取り上げられることとなるだろう。図らずも?「絶好の」タイミングでライブドアが日本でエンロン役を引き受けることとなる。

こういう「活きた事例」がないと話は盛り上がらないということか。かくしてアメリカ型企業統治・企業監査スタイルがスムーズに日本に取り入れられることとなる。

以前、アメリカからの年次改革要望書についてエントリーを書いたことがあるが、あの「拒否できない日本」のなかでも触れられていた会計制度の件は見事に実現の方向へ向かっていると言えるであろう。

今、思えばなぜ自民党は先の総選挙で堀江氏を公認にせず非公式な応援に留めたのか。あまり陰謀史観にとらわれるべきではないとは思うが・・。

関係ないが、J-SOX法が施行される際には対象を一般企業だけでなく、政党、政治家、政治団体、特殊法人、独立行政法人のように政・官の領域まで是非適用範囲を拡げてもらいたい。金の流れや内部統制を
「見える化」し、外部チェックされるべきはこういう領域こそだろう。

これを機に内部統制のモデル国家となることを国を挙げて宣言してもいいし、民主党が本気で政権を狙うならばこういう切り口でアピールするのもいいのではないか。まず民主党が率先することが必須条件だが。

システミックリスク

(2006年1月19日 Livedoor Blogより再掲)

東証が場中に取引を強制的に止めたという前代未聞の出来事が昨日起きたが、これについて思ったことをふたつ。

ひとつめは証券取引というグローバル市場への影響も含めてミッションクリティカルの際たるシステムがなぜこれほど余裕のない設計になっているのかということ。

以前、「東証誤発注の背景」というエントリーで書いたが、東証のシステムの問題は処理できる注文件数や約定件数だけではなく、受発注のレスポンスタイムにも大いにある。スケーラビリヒティの面でも通常はシステム増強のためのリードタイムも十分に考慮して大きめのバッファをもってシステム規模の設計が為されるべきところだが、東証の場合、「想定外」の事態とはいえ、処理件数が一日二日で倍になったわけではないのにこの体たらくは醜態以外の何物でもない。東証の西室会長はライブドアがどうこう言う前にまず自らの責任を痛感すべきである。

特に問題の本質が「注文数が増えた」ということ以上に「約定処理ができない」というクリアリングとのバックエンドにあるというのは個人投資家が増えて小口の取引が増えたとかライブドアショックとか以前に純粋な東証の危機管理の問題である。

ふたつめに、同様の危機管理の問題で言えば、事情説明のためとはいえ具体的な処理・約定可能件数を公表するのはいかがなものかと思う。今回のことで東証のシステミックリスクレベルが丸裸になったわけで、意図的にアタックしようと思えばどの程度で東証を落とせるかという妙な情報を開示してしまった。そんな一国の証券取引市場が簡単に落とせるかと思う人も多いかもしれないが、事実、東証のアラートで一般株主がパニック売りに走って指数が下がったという前例ができた以上、意図的に下げたい勢力が下げたい時に何かをしかけることはそれこそ今後は「想定内」だと思ったほうがよいのではないか。海外から束になってかかられた結果、壊滅的な影響を受けた市場が過去にないわけではないのだから。

結論を言うと、
1)東証は取引時間は厳守すべきである。今でも時短をすべきではない。
2)システムは逐次増強ではなく、一気にかつ大幅に増強すべき。かつレスポンスタイムまで含めた抜本的なシステム更改を考えるべき。
3)システム処理能力の情報は非公開にすべき。ということである。

現在は日本市場に利用価値があるからいいが、利用価値がなくなってきたら良からぬことを考える輩が出てこないとも限らない。当面は信用買もさることながら、「意図的な調整局面」の兆候がないか信用売残の推
移にも注目しておこうと思う。まあ、上がれば下がるし、下がれば上がるのが相場の常であるが。

国土交通省の責任は??(マンション強度偽造問題)

(2005年12月20日 Livedoor Blogより再掲)

なんだか一斉強制捜査だ、オウム事件以来の規模だと騒いでいるが、この問題では国土交通省が「認定」したといわれる構造計算ソフトがいとも簡単に一建築士によって偽造されたという事実が結構軽んじられているような気がしている。

当然、経済設計などという適当な概念で手抜き施工をしたり、知っていながら販売していた人が悪く、責められるべきなのはそのとおりだが、国土交通省がいかにも「責任の所在」を追及する側に回っていることには違和感がある。

ERIやイーホームズからすれば、「国の認定ソフトがまさか偽造されているとは思わないからチェックが甘くなった」と言えるし施工事業者からすれば建築確認書が降りたからそれにしたがって施工したのだと強弁しようと思えばできないこともない。

さかのぼっていくと大元の責任の所在が国土交通省にもあるとはいえないだろうか。税金で救済措置を発表したことで迅速な対応をとっているかのように見せている国(国土交通省)だが、国民の目を巧妙にそらしているとしか思えない。

東証誤発注問題の背景

(2005年12月14日 Livedoor Blogより再掲)

一部外資系証券会社が混乱に乗じて莫大な利益を得て、その正当性や企業倫理にも話題が飛び火している本件だが、外資系証券トレーダーの知り合いの弁では

「前々から指摘されていたシステムの脆弱性に対して必要な措置をとらなかった東証の責任は大きく、今回の件で外資系証券会社は東証に対してある種『懲罰的な』行動をとったと言える」

ということだった。この意見が証券トレーダーの総意とは思えないが前々から東証のシステムに対するトレーダーのフラストレーションは非常に大きかったとのことである。私から見ると東証はまだましでヘラクレスなどは取引する場に値しないと思っているほどだが、彼らからするとNYSE(ニューヨーク証券取引所)やNASDAQの発注から確認までのラウンドトリップレスポンスタイムを1とすると東証のそれは数十倍から100倍の時間がかかるのだと言う。

それにしても「懲罰的」とは、やはり後付であぶく銭を正当化しているような言い草にしか見えない。発行済み株式数をはるかに超える買発注をイレギュラーと知りつつ意図的に行ったことについては倫理違反であるとの謗りを免れないであろう。

実は、私が本件で注目しているのは別のところにある。なぜみずほ証券が発行済株式数を超える売り注文を場に出すことができたのか?という点だ。個人が行う場合、強制的にそんな注文を出すことはできな
い。なのに、なぜみずほ証券はそんなことができたのか?証券会社はやろうと思えば発行済株式数をはるかに超える莫大な空売りをしかけることができるということなのだろうか?

証券会社の自己勘定売買用のシステムでだけできる取引がある、しかも時間内にそれができるというのは取引に関するイコールフッティングの観点からはとても大きな問題なのではないだろうか?証券取引法で「見せ板」と呼ばれる意図的な架空注文への処罰規定が強化されるとのことだが、今回のことで証券会社は発行済株式数を超える数の架空注文をやろうと思えばできるということが判明した。今回はそれを東証のシステムの不具合で引っ込めようと思ったのにできなかったらカモになったわけで、そうでなければきちんとした
価格と数量で儲ける目的で大量の売買注文ができたということだ。

株式市場は個人投資家の大量流入で空前の投資ブームだ。ボーナスシーズンを当て込んで投資特集も大々的に組まれている。しかし、このあたりのカラクリが解明されていないと個人投資家はいつかの時のようにカモられて終わるだけなのではないか?

今回、みずほ証券と東証から金を巻き上げた外資系証券会社にも同じことができるシステムがあるのであれば、自己責任による安全な取引など、少なくとも個人投資家には望むべくもない。

と書いた後に「UBSなど6社全額返還へ 株誤発注の計168億円」というニュースがはいってきた。ますます怪しい。悪者になって余計なシステムの裏を嗅ぎまわられる前に恭順の意を示してあとはお咎めなしを狙っているのでなければいいが。

性犯罪、幼児犯罪防止と予備罪

(2005年12月4日 Livedoor Blogより再掲)

予備罪という言葉がある。文字通りまだ発生していないが発生について予見可能になった段階で抑止しようという考え方で、現代の日本では、殺人や放火、強盗、通貨偽造のような重大な犯罪についてのみ非常に限定的にしか適用されていない。

なぜなら戦前の治安維持法といった悪法のおかげで予備罪イコール「個人の思想を自由を侵すもの」「警察権力を必要以上に強くするもの」という固定観念が強いからだ。特に弁護士、弁護士出身の国会議員にこうした懸念をもつ人々が多い。

しかし、昨今の子供・幼児向け犯罪の多発を考える時、この領域については予備罪の適用を拡大すべきではないかと思っている。もはや子供・幼児向け犯罪は殺人や放火、強盗、通貨偽造と並んで重大な抑止策を講ずるべき領域とはいえないだろうか。

たとえば、幼児ポルノについては販売を目的としない単純所持は現在では違法ではないが、これは本当に妥当と言えるのか?もちろん共謀罪のように大きく予備罪の網をかけることには私も慎重なスタンスだが、こと犯罪がいったん発生した場合に、その犠牲者がいたいけな弱者であり、犯罪者の邪悪な意図が成立する
可能性が高い場合は、通常よりも防犯としての予備罪適用を厳格に行ってもよいのではないか、と思うのだがどうだろうか?

ニュースで犠牲になった子供さんの様子を聞くたびに同じ年頃の娘を持つ一人の父親として本当に心が痛む。ご両親の無念さはいかばかりであろうか。これから大きく未来が開けていくであろう年代で、まったく理由が理解できない犯罪者の論理で子供を失ってしまう。

こんなことが本当に許されていいのであろうか?私は凶悪犯罪を犯して社会の安定に対して重大な挑戦をした以上、その犯罪者は通常の人権を主張する利益を喪失したと考えている。もう彼らはある領域においては人権の主張ができなくすべきだ。だってある人(被害者)の人権を侵害したのに、自分の人権保護だけ主張するなんて認められない、絶対に。

「起きてからでは遅い」、そういうことはあると思う。子供向け犯罪というのは、これからの日本で予備罪的であっても抑止しなくてはいけない領域だ。

次の消費税率アップ前に耐震強度偽造は再発する

(2005年11月25日Livedoor Blogより再掲)

住宅ローンの一定の割合を10年間所得税額から控除しますよ、だから家を買うなら今のうちですよ、という住宅ローン減税というのを政府が数年前にやった。

今なら10年間控除できますが、来年からは控除期間が短くなりますよ、という「追い込み」もあった。中には施主自らが契約とローン実行をせかした例もあった。

あの時期に建売住宅・マンションを買った人は少なくないと思う。しかも無理なローンを組んでだ。

こういう政府がグルになった消費促進をやると今回のような歪みは必ず出てくる。建てる業者側も無理して建てる輩が出てくることは予想がついたことだ。

次は消費税率があがる時に「家のように大きな買い物をするなら、消費税が上がる前に限りますよ。この差はバカにならないですよ」という営業トークがあって、訳ありの新築格安物件が出回ることになるに決まっている。

私には今回のことがたった一軒の設計事務所と一部のディベロッパーだけがやっているとは到底思えない。日本中で同じような建物は無数に存在すると思う。マンションだけではないはず。通勤ルートにあるあの家だってあの家だって、駆け込みであっという間に完成し分譲された。

実際の大地震という「テスト」で判定を下すにはあまりに代償が大きい話だ。

2007年3月20日火曜日

憲法改正問題と皇室女系問題、そして靖国問題

(2005年11月22日 Livedoor Blogより再掲)

以下、あえて「祭」られる危険性を覚悟でタブーに触れる。

私は常々皇室というのは現在の日本国憲法の精神を純粋に希求し、体現することを国民に身をもって訴えることに大きな存在意義があるのだと受け止めている。また皇族の方々もそれが自らの使命だと考えていると(大変勝手ながら)思う。

だからこそ平和を希求し、国民が健康でおだやかな生活を営むことを趣旨とする各種式典に参加しているのだと。

だからこそ、多くの税金から皇室費用を捻出し、世俗から一種隔離してでも純粋に憲法の理念を追求する理想的な日本国民の象徴(モデル)としての生活を送っていただいているのであろうと。又そうあることが国民の間で一定のコンセンサスを得ているのも、国民は日々の生活に追われて必ずしも憲法の理念を追求する生活は送ることはできないが、皇室に理想を投影し皆で自然とその存在を称えるているからなのだと。でなければ戦後世代が圧倒的になった現代において、英国王室のようにゴシップにまみれることなく国民から深い敬意と共に親しまれていることの説明ができない。(私は皇室に対してとりわけ深い思い入れがあるわけではないことを断っておく。ゆえに、客観的にこの文章を書いているつもりであり、またそうだからこそある方面の人々からすると配慮なく淡々と書きすぎているように見えるかもしれない。)

その姿勢から垣間見えるポリシーの中で最も強いものは、戦争の永久放棄なのではないだろうか。そしてそれは先代の天皇陛下に暗黙裡に課された太平洋戦争に関する戦争責任故であるような気がしてならない。皇室は明示的には「お言葉」を出さないが、その(日本国憲法の理念を純粋に追求する)姿勢を以ってある種の贖罪を続けているような気がするのだ。

このように考えると表題の3つの論点にある種の方向性が生まれる。

まずは憲法改正問題だが、国際貢献や集団的自衛権の観点から憲法9条問題が多く取り上げられる。それはそれでいい。しかし、現行の日本国憲法の理念を純粋に体現し希求するという姿勢をとっている皇室に対して、誰がポリシーの変更を説明し、納得させることができるのだろうか。そこに皇室の意思はまったく反映されなくてもいいのだろうか?憲法改正は皇室のあり方、行動規範を変えることを意味しないのだろうか?
私はこの点に非常に違和感を感じる。ある種、贖罪にも見えるストイックな理念の体現姿勢にも関わらず、「憲法を改正しましたから、今後は自衛隊の国際派遣式典においてもお言葉を頂戴し、激励していただきたい」と誰かが言ったら皇室は納得するであろうか。

実効性はともかく、世界中で一切の戦争行為を放棄するということを理念として掲げる国があってもいいのではないか?お国のためには生命を投げ出すことも尊い、他国の領土や人の生命を奪うことも大義がある、そういう異常な状態を肯定してしまう恐ろしさがあるからこそ、戦争は否定されるべきだし、日本はそれを声高に主張し続ける権利と義務を持った数少ない国ではないか?皇室は行動を通してそうしたメッセージを発信し続けているのではないか。そう考えると安易に改憲論を進めることはどうかと考える。

次に女系天皇を容認するかということだが、少なからぬ人々が万世一系の男系皇統を絶やすべきではないと言う。これにも疑問を感じる。シャーマンあるいは神格化されることが皇室の機能であった時代には遺伝子の継承たる男系の維持には意味があったかもしれない。しかし、今の皇室はそういう存在ではない。歴史的にも本当に万世一系であったかどうかも証明はできないし、実際の系譜には女性天皇の時代も何度もあった。今更神話的な皇統の系譜を形式的に維持することに何の意味があるのか。前述のように、現在の皇室は国民統合の象徴(モデル)であって、その意味では国民が皇室を自ら、および日本国民全体のモデルであると思える限りにおいてはそれが男系であろうと女系であろうと機能的には際立った差異はないように思え
る。

最後に靖国問題だが、すべては現在、皇室が靖国参拝を行っていないという明確な事実に帰結すると思う。
私の考えが正しければ、現在の靖国神社というものの位置づけが日本国憲法の理念にそぐわない存在であるとみなしているからこそ、理念の体現者たる皇室は参拝できないのではないだろうか。もちろん、皇室も宮内庁もこれを明示的なメッセージで発信はしない。しかし、そう考えるととてもクリアにその行動が理解できる。確かに靖国は戊辰戦争以降、国のため(正確には皇室側としての国なので、戊辰戦争時に幕府側の戦死者だった人は逆賊として祀られていない)に命をなげうった人を祀った場所であり、本来ならばその精神の因って立つところの皇室が参拝しないのはおかしな話である。ではなぜ?と考えると、やはり皇室が現行憲法の精神をその行動原理として自らに課しており、その規範たる憲法と靖国の理念は並存しえないものであると皇室が考えているからに他ならないと思うのだ。

近い将来、憲法が改正されて海外における一定の武力行使が認められたとしよう。また、その戦闘で戦死した自衛隊員?が(本人の意思に沿うか反するかはともかく)靖国神社に祀られたとしよう。天皇陛下や皇室は靖国に参拝するであろうか。私はおそらくしないと思う。そういう静かな自己主張があると今の皇室を見ていると思うのである。

皇室の深い思い、苦悩すべてを伺うことは到底できないが、今、議論になっていることを日本人としてどうとらえるべきかを考える時、皇室の姿勢と日本国憲法の理念の関わりはある種の解をわれわれに示唆しているように思えるのだが、どうであろうか。

「通信と放送の融合」の本質-楽天問題最終章

(2005年11月22日 Livedoor Blogからの再掲)

「銀行側からTBSと楽天に妥協案が提示されましたけど、何かコメントでないんですか?」というメールを多くの方にいただいた。

しかし、このエントリーのシリーズを最初から読んでいただければ(かつ「楽天 敗北へのカウントダウン」シリーズも)おわかりのように、この話はもう最初から結論が出ている。

ポイントを以下にもう一度まとめたい。

・通信(ネット)と放送の融合と言われていることの本質は放送事業者(及び電通等の広告代理店)が、現在ほぼ独占状態にあるスポンサー企業の広告宣伝費、販売促進費を通信(ネット)系事業者が分捕りに行っているということに他ならない。

・そういう観点から考えると現在、コンセプトとして正しいアプローチをしているのはUSENのGyaoと最近発表されたソフトバンクのTV Bank構想だけである。潜在的には今後、日本市場に導入されるであろうアメリカのTiVoのビジネスモデルだが、これはまだ日本での具体的な事業展開イメージが発表されていない。

・コンテンツに特定の紐付けを行うことは利用者の枠を狭めることになり、得策とは言えず、むしろ地上波テレビコンテンツ、映画コンテンツに可能な限り広い網をかけることが利用者の選択肢を拡げ、ひいては新たな広告媒体としてのクリティカルマス獲得への近道を意味する。

・コンテンツサービス事業者で月々の利用料、Pay Per View課金を行うのは敗北シナリオである。理由は日本の消費者は無料で高品質な地上波テレビコンテンツに慣らされており、欧米のようにCATVや衛星放送サービスがデフォルトで「コンテンツは有料」という素地のある土壌ではないからである。この傾向は日本だけでなくアジアの消費者でより顕著になる。(スカパー、WOWOW、その他の有料コンテンツ配信サービスが日本では伸び悩み、ほとんどが成功とはいえないのは、このためである。)
 
・よってコンテンツサービス事業者は広くかつ限りなく無料に近い価格でコンテンツを提供し、収入はむしろ集めた加入者の属性情報を加工することにより、自らを新たな広告媒体(メディア)とすることによって得る広告収入モデルを志向するしかない。

・つまりネットで今の地上波TV局のビジネスモデルを再現するのである。新しいモデルが違うのは、利用者の属性情報をデータマイニングしてよりタイミング良く、気の利いた広告がさまざまなデバイス経由で送られてくるため、従来の広告よりも投資効果が高いことである。ROIに敏感なナショナルスポンサーがこちらにシフトすることは明らかである。

・一方、TV局はディストリビューションの物理的なチャネルが早晩電波からネットに移行することを強く意識しなければならない。地上波デジタルという言葉があるが、2011年にはもう「波」のビジネスに頼る必要はない。地上にある光ファイバーベースのネットワークが十分に「波」のオルタナティブとして育っている。TV局は自らネット事業を行うか、ネット事業者と提携・買収するか、いずれも行わずに番組制作会社に専念しつつ、新興ネットメディア事業者から広告宣伝費収入のレベニューシェアを受けるモデルをイニシアティブのあるうちにネットメディア事業者に飲ませるかを選択しなければならない。

地上波デジタルサービス対応などに投資している場合ではない。危険を冒して上場したのは地上波デジタル化投資のためのやむにやまれぬ手段だったのはわかるが、もはやその意義は消滅しつつある。今となってはせっかく手にした資金は新たな市場で広告利権を有効に確保するために使われなければ株主説明責任を果たすことは今後できない。

・総務省は「波」のビジネスをベースにした行政や消費者誘導を早期にあきらめ、ブロードバンドネットをベースにした新たなビジョンを策定しなくてはならない。そして空いた周波数帯を携帯だけではなく、カーナビ、無線LAN技術、その他今後登場する各種モバイルサービス端末すべてに等しく配分し、それらの高機能化を促さなければならない。家電メーカーは消費者やキー局の地方ネット系列局が、地上波デジタルのためになんか誰も新規投資をしないことを早く意識し、むしろ家庭内でTVとPCのディスプレーをシームレス
で使えるデバイスやパーソナルディスプレーの開発に集中した方が良い。(SANYOやパイオニアの経営陣がこのエントリーを見ていたら一発大逆転のヒントはここにある。総合音響家電メーカーである必要はないが、この領域で生き残れれば十分に復活の目はある。)

・今後のキーワードは「タイムシフト」「プレースシフト」「デバイスシフト」である。ユビキタスと大括りにされるこれらのコンセプトだが、利用者に明確にイメージさせるためには従来の「いつでも、どこでも、誰とでも、どんな端末ででも」求める情報にアクセスし、コミュニケーションを可能とすることが求められる。

・日本における通信(ネット)と放送の融合像はプッシュ型コンテンツ配信をTVコンテンツが担い、プル型のコンテンツ収集をネットのRSSベースの検索技術が担う。これらは近い将来、「パーソナルポータル」という形で「利用者の手元」で融合する。繰り返す、融合の場はコンテンツ提供者サイドではない、利用者の手元で放送と通信は真の「融合」を果たす。

提供者側で融合をさせようとするあらゆる試みはすべて失敗する。楽天はここを見間違っている。ライブドアは間違いに気がついたが、次の手が打てていない。ソフトバンクはじっくりと両者の動きを見て、最善の手を見出した。まさにプロ野球参入の時と同じである。

・上記の考察からコンテンツをプッシュ、プル両サイドで利用者の手元で融合させる事業者が次世代の覇者である。

具体的なキープレーヤーは、USEN・ソフトバンク(ヤフーではない。ヤフーが従来型ポータル事業を志向する限り、パーソナルポータル陣営には勝てない)、インデックス、グーグル、TiVo、アップル、アマゾン、eBay、Skype、イーアクセス、CCC、各種ネット広告事業者、自らのメディアとしての可能性にいち早く目覚めた携帯電話サービス事業者、消費者属性情報を効果的にデータマイニングし、ダイレ
クトかつマイクロマーケティング広告につなげることができる、かつ属性情報と個人情報を峻別して安全に管理することができるデータ管理・加工事業者「だけ」であろう。NTTグループが勝ち組に残れるかどうかはドコモの携帯事業リソースを固定ネット系とどれだけ一体的に提供できるか、上記のプレーヤーと効果的なパートナーシップをどれだけ早期に確立できるかにかかっている。すでに出遅れているが今後一年以内にUSEN、ソフトバンクレベルに追いつくビジョンが出せれば、融合サービス提供事業者として、新たなメディア企業として生き残りができる。ダメだった場合は、「相変わらず月額利用料で食っていく旧世代ネットサービス事業者」としてジリ貧になるであろう。


・マス系のネットサービスは近い将来、広告収入を前提に限りなく無料に近くなっていくことを余儀なくされる。携帯電話料金も通話に関する料金は5年から10年スパンで無料化に向かうことが避けられないであろう。

・もちろん、無料では利用しない消費者も多く存在する。それは有料でもいいから、自分の属性情報を提供し代わりに絶え間なく広告を受けるのが嫌だという層である。マス消費者のネット系サービスの利用動向は将来的には二極化するであろう。

長々と書いたが、私は今後楽天がTOBをしようと、それが成功しようと失敗しようとあまり関心がない。面白おかしく取り上げることはするかもしれないが。

ただ、楽天は少なくとも通信と放送の融合という観点からは最初の段階でボタンを掛け間違っている。そもそものアプローチが誤りなのである。

「3年後、『三木谷の言っていたことは正しかった』と誰もが言う時代が来る」と三木谷氏は言う。でも、あえて言う。3年後そういう人は誰もいないと私は確信している。

(書評)「国民収奪税」・「粉飾国家」・「偽装国家―日本を覆う利権談合共産主義」

本当に腹の立つ話だ。この本の作者にではない。

この本に書かれている内容と「それ」に向かっていると思しき国家に対してである。

国民を騙して財政を粉飾し、金が足りないからと言って人の財布に手を突っ込んで金を巻き上げる、あるいは人に断りもなく勝手に借金をこさえて、その連帯保証人にし、「返すのはこの人達ですから」と言って逃げる。

財務省が「粉飾」し、政府と組んで国民から「収奪」して補う。自分達は痛みを感じない。
非常によくできた仕組みである。





(書評)石橋湛山

実は今、石橋湛山がマイブーム(死語か?)である。きっかけは以前紹介した「靖国問題」という本の最後に湛山が東洋経済新報の主宰であった1945(昭和20)年10月に書いている「社論」~靖国神社廃止の儀 難きを忍んで敢て提言す~を読んで興味を持ったからであるが、その著作物を読むと昨今話題になるキーワード「憲法」「靖国」「対中外交」「小さな政府」について、いかに湛山が明快に論旨を展開し、またその内容が今もまったく色褪せないかが実感されるのである。

薄っぺらで近現代史をないがしろにしがちな現在の歴史教育ではごく短命な内閣を率いた首相経験者としてしか知らない人が多いであろう。しかし、この人は太平洋戦争前から戦中、戦後を通じて国、外交のあるべき姿を問い、訴え続けた貴重な社会思想家であり、今では絶滅したと言ってもよい言論・マスコミ人である。

昨今、政治家発・マスコミ発の陳腐な官民二元論に踊らされているのではと漠然とした危機感を感じている人にオススメする。

今こそ、彼は再評価されるべき人である。
以下の書は湛山自身の評論と湛山について書かれたものが混在しているが、現代においてなお色褪せない湛山の思想を理解するための良書であり、必読書である。









「通信と放送の融合」の本質(その3)

(2005年11月3日のLivedoor Blogからの再掲)

「テレビ対IT、幹部らが討論 思惑の違い鮮明に」(Asahi.com)
http://www.asahi.com/culture/update/1103/001.html

相変わらずネット側企業は「ネットでも番組配信できるようになった以上は関心を持つのは当たり前」「テレビが顧客にリーチする能力は魅力的」と言い、テレビ側は「文化が違うので融合ではなく提携だろう」と一歩引いた構えだ。

この議論でいつも問題なのは、この融合が常にサービス供給者側から論じられていることである。本当に融合させるためにはサービスを受ける消費者サイドの利便性や利用形態からアプローチしなくてはいけない。

TVという受像機、いわゆる箱に向かってなにがしかのエンターテインメントサービスを受けるということはDVR(ハードディスク内臓ビデオレコーダー)等でタイムシフトが起きても利用形態という点では相変わらずメジャーなポジションにある。だからこの利用形態はできるだけ崩さないほうが良い。その上で、いつの間にかテレビを眺めながらネットに抜けていく、いつの間にかモノを買っているというような利用形態を実現させなければならない。

その上で、更に今後のキーワードである「タイムシフト」「プレースシフト(ロケーションフリー)」「デバイスシフト(携帯でもゲーム機でも映像コンテンツを見れる)」を実現させる方向に誘導していくものでなければならない。

そういう観点から「通信と放送の融合」はむしろ新しい家電によって消費者サイドで実現される可能性が高いと思うが、現時点でこれに取り組み、3つのシフトを実現しているのはソニーだけだと思う。今後もデバイスベースで融合は進むと私は予測する。

(書評)王者のゲーム(上・下)

博多華丸のモノマネ「アタックチャーンス!」でブレークする以前から児玉清さんは書評家(しかも原著にも結構あたっている)としてよく取り上げられるようになっていた。

この本も文芸春秋の特集でヒーローモノだったか冒険小説とかいうくくりで児玉さんが取り上げられていたものだ。

基本的にアメリカのヒーローなんてダイハードとか、ロッキーとかツボが浅いんだよなあ・・と思いつつ児玉清さんに敬意を表してまあ試しに読んでみましたよ。

「ページターナー(どんどんページをめくらされてしまう)の面目躍如!」ってコピーもあったけど、上巻読むのになんだかんだで二週間くらいかかったかなあ。忙しかったせいもあるけど同時に複数読み進めるスタイルの私の中であんまり優先的なチョイスにならなかったのが理由。

で、やっと下巻に入りましたよーってところからは一日だった。早かったね。

主人公のジョン・コーリーのキャラ、セリフ回しに慣れてきたせいもあるけど、物語のテンポもよくなった。総合点では充分満足。コーリーシリーズ第一作の「プラムアイランド」をすぐ買って読んでみようと思うくらいには大満足だった。

ネルソン・デミルってトラボルタ主演の映画「将軍の娘」のイメージがあったからつい面白くないんじゃないかと思っていたけど、あれは脚本が悪かったんだろうな。

とにかくコーリーのキャラは気に入った。何度も声を出して笑えるセリフ回しが楽しめたよ。

ありがとう、児玉清さん!






2007年3月19日月曜日

(書評)千尋の闇

ロバート・ゴダード著

もう黙って先入観なしでこの世界に突っ込んで行ってくれという作品。とにかく読むべし。稀代のストーリーテラーであるゴダードの作品の中でも珠玉の歴史ミステリー。いくつもの謎を解き明かしてはそれが新たな謎につながり、ようやく全部解明できたと思って顔をあげてまわりを見渡すとそこに見えてくるものは・・・。

いい本や映画というのは読み終わった(観終った)後、どのくらい一人で誰とも口をきかずに浸っていたいかでその良作度を測ることができると思っていますが、この作品は夜中に読み終えるようにすることをオススメします。理想は夜十時に読み始めて上下二冊を夜中の1時から2時くらいに読み終わるペースでしょうか。

素敵な夜長を過ごされんことを・・・。



(書評)太平洋の薔薇

これも骨太の小説であり、やはりハリウッド映画化に耐える完成度の高い作品。笹本稜平は映画化を想定して書いているのではないかと思ってしまう。こちらは前作とは違って舞台が海になります。シージャックというありがちな設定で始まりますが世界中で同時多発的に事態が進展し、最後に舞台となる老朽貨物船パシフィックローズ号にすべての要素が収斂していきます。キーマンの男達が皆、「漢(おとこ)」って感じです。



(書評)天空への回廊

自分は高高度登山というのをやったことはないが、読んでいると自分がそれをやっているかのような気がしてくるくらいの描写力。図らずも国際謀略に巻き込まれた日本人トップクライマーが限界の中で友人救出
へ向かう。この作品、絶対にハリウッド映画化してもいいと思うな。

安定株主化工作って?

(2005年10月28日Livedoor Blogからの再掲)

「TBS 安定株主60%超へ」

TBSが安定株主化工作を順調に進めているとあるが、考えてみるとこの安定株主化って今の時点で何も意味がないし、何を持って安定株主と言えばいいのだろうか。

この安定株主という方々は「いやあ、TBSさん。うちはおたくの株を長期保有します。絶対に他には売りませんよ。はっはっは。」と言っているのだろうと思うが一体、誰が何の権利で現時点でコミットできるのか。

こうした会社は株主総会で「どんなに高値がついてもTBS株は売却しません」ということを多数の賛成を以って決議したわけではないだろうし、そんなことは現実的にできない。

例えば、楽天が現在の株価の10倍の値段を提示してTOBをかけた場合に、それでも売らない理由を自社の株主に説明する完璧なロジックなど存在しない。

そういう意味で、安定株主なんて言葉もそういう株主も(資本系列グループ間を除くと)理論上は存在しない。逆にそういうことを自社株主に断りなくTBSにコミットしたとしたら、それこそ株主代表訴訟の対象
になってもおかしくない。(まあ、それだけで訴えられることはないけど)

まあ、実際にはそんなにアカウンタビリティに困るほどのプレミアムを楽天が乗せられる可能性は低いのだが。

2007年3月18日日曜日

楽天 敗北へのカウントダウンか?(その2)

(2005年10月28日のLivedoor Blogより再掲)

昨日、またSBIの北尾氏が楽天問題でコメントをした。

(ZAKZAKより引用:元URL http://www.zakzak.co.jp/top/2005_10/t2005102702.html )

楽天問題について、記者団が「何かお考えがあるのでは」と問いかけると、「そんなことをやっている暇はないくらい忙しい」。無関心を装いつつも、「一般論」として「敵対的買収は、企業風土、文化が違う中では難しい。失敗する可能性が高い」と指摘した。

ニッポン放送の経営権をめぐる攻防では、北尾氏は「騎士」としてフジテレビを助け、ライブドアによる買収を阻止した。今回も“姫”救出に向かうのかとの見方には「ノーコメント」。

だが一方で、「私にはいいアイデアがある」として、「あるところが協力し、あるところが乗り気にさえなれば、完全に楽天の意図をくじくことができる」などと意味深発言も。

(以上、引用終わり)

そんなことやっている暇はないと言いつつも一家言あるところが北尾氏らしいところ。このお方が関心がないわけがない。

で、前回の続きだが、この北尾氏の最後のコメントの「あるところ」をあえて埋めると「電通が協力し、ソフトバンクが乗り気になれば完全に楽天の意図をくじくことができる」が正しいだろう。

電通は9月の第三者割り当てを引き受けて以降、言うまでもなくTBSの大株主である。ここの意向を無視して通信と放送の融合ビジネスなんて悔しいが成立しない。それは以前のエントリーである「通信と放送の融合の本質」でも触れたように、今後のビジネスの本丸が現在地上波TVが圧倒的に独占している広告宣伝費、販売促進費の奪い合いだからで、電通はいまのところその流通のクリティカルポイントを握っているからだ。

今のところ、電通はTBSのパートナーとして楽天がいいとは思っていないようである。それは先日アマゾンとの協業スキームを演出してみせたところにもある。また、今週発売の雑誌には「楽天が来たらTBSは面白くなくなる」とか「社員が一斉拒否」等の見出しが目につくが、このあたりオピニオンコントロールを仕掛けていてもおかしくない動きが垣間見える。(彼らにそんな世論操作ができるのか?と思っている人もいるかと思うが、十二分にできる。最近も彼らの仕掛ける韓流ブームで沢山の人々が踊らされたのがいい例だ。総選挙の際のメディアの報道トーンが偏っていたことも疑ってみたほうが良い。)

電通は勝手に広告宣伝費や販売促進費を自分でコントロールしようとする事業体がいては困るのだ。だから通信と放送の融合は電通の利権を阻害しないように、かつ自分達がコントロール可能な形態で行い
たいと考えている。楽天のTBS買収なんて許すわけがない。

ただし、電通はコントローラーあるいはフィクサーであって表舞台に出ていくことはしない。だから全面に出る事業者を必要とする。電通は今、この期に乗じて楽天を逆に攻める事業者に手を回しているはずだ。それが今回はソフトバンク(正確にはヤフー)だと見ている。ネットビジネスにおいて電通とヤフー・ソフトバンクは密接な関係を持っている。そして今回、楽天のビジネスドメインを狙いにいく(楽天という事業体を狙いにいくのではない。有利子負債が5000億もある会社を会社ごと背負おうと思う会社はいない。あくまでも楽天の持つビジネスモデルと顧客を取りにいくという意味である)動機がヤフージャパンには十分にある。電通は追手でTBSの安定株主工作に協力し、楽天との統合は意味がないというプロパガンダを打ちつつ、搦め手からは楽天本体をネット業界再編の波にさらそうとしていると思う。両方が互いに相乗効果を出すシナリオだ。

色々とやり方について書くと差し障りがあると思う(まあ、こんな弱小ブログ見ている人はほとんどいないが)ので書かないが、遠くない将来、楽天に対する第二幕があく可能性があると思う。北尾氏があの
ようなことを言うのは楽天に対する予告であり、水面下ではもう準備は進んでいるのだと思う。

楽天はうまく取得株式を引き取らせる方向で動いたほうがいい。TOBなんて仕掛けたら楽天への仕掛けが本当に始まるだろう。三木谷氏がどんなに優秀で調整能力が高くても、今の楽天に二正面作戦を取るだけの余裕はない。

楽天 敗北へのカウントダウンか?(その1)

(2005年10月26日 Livedoor Blog掲載分の再掲)

今朝の報道で楽天がTBS株を20%近くまで買い増ししたとあった。

これで楽天は「敵対的」との批判を逃れられない。そしてそれはほぼこの買収劇が楽天の敗北に終わることを意味している。以前のエントリーで「楽天株はいい押し目」と書いた時期もあったが、もうそれはないだろう。

一方、TBSは想像以上に有利なポジションである。TBSがやるべきことは二つだけ。

1)諮問委員会で今回のことを「敵対的」と認識・認定しておく。
2)これ以上、楽天が買い増した場合は日興への新株予約権による対抗措置をとる「用意がある」とアナウンスする。

以上である。これに対して楽天は何ができるだろうか?

1)ここで買い増しを止めて時間がかかっても対話路線を続ける。
2)対話路線をあきらめて敵対的TOB(パワープレイ)に移行する。

1)をとった場合、TBSは急ぐ理由はないので、引き伸ばしにかかるであろう。株主安定化措置を講じつつ、一方で今回のAmazonとのような別の協業スキーむを発表し、「別に楽天である必要はない」という周辺
世論を醸成すればよい。楽天がそのうちに財務的に塩漬けを許容できなくなり、交渉のイニシアティブをTBSが握ることができる。

2)をとった場合はどうか?

楽天の三木谷社長は「TBSが対抗措置を発動すれば資本市場における汚点であり、株主から訴訟を起こされるだろう」と牽制しているが、実際に株主から訴えられるのは三木谷氏のほうが先になる可能性がある。
「敵対的と認定された場合、対抗策を発動するぞ」と言っている相手に対して中途半端なシェアを獲得し、五月雨でTOBに移行し、かつその資金調達をエクイティファイナンスでやって株式価値を希釈化させれば、TBSが対抗策をうつ前に三木谷氏自身が楽天株主から訴えられる。更にTBSが本当に対抗策を発動し、楽天株式の価値が二重に毀損された場合、株主の怒りはTBSではなく三木谷氏に向くであろう。

こうした状況を考えると、私は楽天がゴールドマンサックスと考えている資金調達はエクイティファイナンスではなく、TBSの遊休資産を先付けで担保にするLBO(レバレッジドバイアウト)であろうと思う。
三木谷氏自身が株主代表訴訟を免れ、かつTOBで既存株主がアカウンタビリティを保てないくらいにプレミアムをつけた価格を提示するだけの資金調達を行うにはそれしかない。ただ、その場合TBSも同様の
資産を担保に資金調達をして対抗してくるであろうから、その場合は財務的に余裕のあるTBSが有利である。楽天は時価総額こそTBSより高いが、所詮は期待値によってRevenue MultipleがTBSよりも高
いからそうなっているのであって財務を含めた基礎体力が勝っているわけではないのだ。

しかし、ここで楽天が気をつけなくてはいけないのは実は電通の動きではないかと思う。(思わせぶりになってしまったが、続きを書く時間がないので、また改めて・・)

(書評)NLP

知り合いにキャリアカウンセラーやビジネスコーチをやっている人がいる関係でよくこのNLP(神経言語プログラミング)の名前は聞いていた。カウンセリングやコーチングのセッションの無数の事例の中からベストプラクティスを選別、解析し有効と思われる手法を体系化したものだという。

批判を恐れずに言うと、その中身は「トラウマコントロール」である。人間は生まれてから数々の経験、親の価値観等によって心理的に色々なトラウマ(こうあらねばならないという思い込みや、こうしてはならな
いという禁止事項、先入観等を含む)が積み重なっており、それが本来その人が営むべき自由な精神的・身体的活動を阻害している。NLPはそうしたもの、特にネガティブなものからその人を解放する様々な手法を持っている。

その手法の中には「本当にこれでなんとかなるのか?」と疑問を感じるものも少なくないのだが、そういうややオカルト的なものもありだと思って受け止めると普段のコミュニケーションに活用可能なコミュニケ
ーションテクニックが少なからずある。

本来はきちんとした講習会を受けるか、その講習会でプラクティショナーとして認定された人の指導を受けないと正しい知識にはならないということだが、職業としてその手法を用いる必要がない人はこうした書籍
レベルで実践イメージをつかんでいくといいだろうと思う。

特に子供のいる人は意外に子育てに応用できる点があって発見が多いと思う。



(書評)拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる

(この記事は2005年10月25日にLivedoor Blogに掲載したものを再掲)

昨年は10月14日にアメリカ政府から日本政府に提出されているので、そろそろ今年も恒例の「年次改革要望書」(正式名称:日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく日本国政府への米国政府要望書)が届くはずである。この本は日本がいかにこのアメリカの「年次改革要望書」のシナリオと内容に沿って規制緩和(という名の外資導入)を行ってきたかを書いた本である。

当然ながら郵政民営化法案もこの要望書の争点に沿って立案されている。驚くべきは、阪神大震災の後に建築基準法が改正になり、いかにも震災をきっかけに建築要件が厳しくなっているかと思いきや、米国の建築・設計事務所がコンペに参加しやすいように基準が緩やかにされたという事実である。国は震災を教訓にしたのではなく、年次改革要望書を優先させた規制緩和を行ったのである。

今年は当然、牛肉輸入再開が最優先事項となっているはずだ。当然のことながら、国が優先するのは年次改革要望書にどう応えるかであって国民の食の安全ではない。TVニュースで主婦が「国が認めるのですから安全なはずなので、安ければもちろん米国産を買いますよ」と答えていたが、こういう人は残念ながら何かあっても救われない。

先のエントリーに書いたように、この社会は情報は選択的にしか発信されないし、それを批判的に検証することを怠った消費者・国民は国からも救われない。

それが今後日本が向かおうとしている(国民がそうしてくれと総選挙で選択した)「小さな政府」というものである。





(書評)白州次郎

当時のGHQの動きとか白州次郎その他の人の回顧録を読むと日本国憲法というのはまったく専門外の人間が英文で草稿し、それをやっつけ仕事で翻訳したものであることを知って、なんだかなあと思っていた。

今、この国が憲法改正に向かおうとしているが「基本」を押さえておかないと、つまらん右だ左だのイデオロギー論や海外世論に振り回されることになりそうだ。自分の国の憲法がどうあるべきか自分なりのスタンスは構築しておきたいと思う。

恣意的に運用されるような憲法ならば、きっちり作り直したほうが曖昧さがなくていい。

しかし、最初にこの書評を書いた後、ずいぶん白州次郎ブームになったようだ。
なんでこういう潔く、生き方がカッコいいとされる男が歴史の表舞台からほとんど記述を削除されて
いたのか?そこには何か意味があるのだろうか。アメリカのマークが外れたとか?





(書評)痛快!憲法学

昔(20年くらい前の学生時代)はただの博学なトンデモオヤジだと思っていた小室直樹だが、M2(宮台真司、宮崎哲哉)に紹介されるまでもなく、歳とともに偉大さがわかってきて、今年はAmazonで著作を「大人買い」してサブ読本としてもう一度読み直しをしているところ。

「護憲か改憲か」「九条の問題をどうするか」「集団的自衛権をどう捉えるか」などの個別論点を深く掘り下げている人は非常に多いと思うが、それが憲法という体系の中でどういう位置づけなのか。そもそも今の憲法って「憲法的に」どうよ?というそもそもを押さえておきたい場合に最適な一冊。

一応、これでも法学部だったんだけど、大学ではこういう思想的な背景や法典としての位置づけについてはやらんかったような気がする。(言い切れるほど学校に行っていないので「気がする」にとどめる)

しかし、「ここ試験の頻出ポイント」というところは個々の条文の解釈について各種学説を批判的に検証せよのような問題だったのでそもそも論には触れないのが「憲法」というものへの基本的、学問的お作法だったのだろう。

(書評)自閉症だったわたしへ

この連作はある人に紹介されて読んだ。彼女は自分のお兄さんが自閉症だったことから発達障碍について関心を持ち自分で勉強もしていた。

このシリーズを読むと自分がどれほど「がさつ」な世界に生きて、人とのコミュニケーションにおいて無神経であるか考えさせられる。一方で自分が気づきもしないような木目細やかな世界で考え込んだり、心配したり、喜んだりしている人々の存在を改めて意識する。

バランスの問題だからどちらがどうとは言い切れないことはわかっている。どっちかが豊かな精神性を持っているわけでも、幸せなわけでもない。どう転んでもとかくこの世の中に順応することは難しい。

でも、ときおりそのバランスをあえて崩してでも、そういう壊れやすくも柔らかな世界に触れておきたいという気持ちがどこかにある。







(書評)生命の樹・星の使者

ピーター・シスの絵本を超えた絵本です。

この絵の感じがいいんだな。読み返すたびに絵の細かいところに
新たな発見があってやめられない。

この人の本は純粋な絵本よりもこういう伝記もののほうが個人的には好きだ。
「生命の樹」がチャールズ・ダーウィンを「星の使者」がガリレオ・ガリレイについて。
下手な伝記本を読ませるくらいなら是非この本を子供に。



2007年3月15日木曜日

「通信と放送の融合」の本質(その2)

(その1に続いてこれも2005年10月17日のLivedoor Blog掲載記事を再掲)


続きです。

7)地上波放送コンテンツが狙われるわけは、日本においては地上波TVコンテンツが一番消費者の日常の活動(特に可処分時間の消費)に溶け込んでいて、かつ無料なので心理的な障壁が低いからだ。したがってそういう心理的な障壁の低いアプローチコンテンツは仕掛けを少し工夫するだけで消費活動に誘導することが可能だ。そういう意味で消費行動を誘発するエサとして日本ではこれほどの対象の広がりと日常生活に溶け込んでいるものはない。

8)最初に書いたように「通信と放送の融合」と呼ばれる現象は究極的には通信事業者による放送事業者の囲い込みではない。むしろ放送事業者が囲い込んでいるスポンサー企業群の広告宣伝販促予算を誰が握るかということであり、放送事業者は現在の時点でそれらを抱え込んでいるからこそターゲットにされるのだ。パワーゲームでスポンサー企業の予算を分捕ることもできないわけではない。しかし、それはコスト的に失うものも多い。なぜなら既得権益を守ろうとする地上波放送局と広告代理店は今現在「メディア」という権力を握っているスーパーパワーであり、敵に回すのは得策ではない。ではどうするのか?

9)ニッポン放送に買収をしかけたホリエモンは当初の目的を達したとは言えないし、「通信と放送の融合」について納得のいく説明ができなかったと言われた。それもそのはずである。本当は莫大な広告宣伝販促費を既存メディアと新メディアを両方握った自分が最も最適な形で移行・共存させ、最適化したいなどという最終ビジョンをあの時点で話すことなどできるわけがない。本当はわかっていなかった可能性もあるが、ホリエモンは実は感覚的には見通していたと思うし、現に裏ではそういう発言もしていた。

10)地上波放送局が持つ機能はコンテンツ制作だけではない。編成機能もあれば広告営業もあるのだが、今後のインターネットや携帯の持つリアルタイム、ダイレクト広告機能のことを考えると後者の編成・広告営業機能は新メディアで代用可能だ。しかし製作機能がなくなることはまずい。ここだけは高品質を保てるだけのキャッシュフローを保ってやらないと競争力を失ってしまう。質の高いコンテンツはスポンサーの評価も高いので高額な広告枠販売ができて大丈夫ではないかとも思うのだが、全体的に放送局の収益が落ちてきている昨今では低いレベルで制作費をクロスサブさせるよりは全体的に安定したキャッシュを供給してやる必要がある。競争力が落ちてからではまずいのだ。ここに通信系IT企業が地上波放送局を早く囲い込もうとするメカニズムがある。
  
☆☆閑話休題☆☆
楽天はいかにも融合し、共同持株会社を作れば双方にメリットがあるとTBSに持ちかけているが、それは「方便」でしかない。共同持株会社では楽天のキャッシュフローをTBSの本業たる放送コンテンツ制作にクロスサブさせることはできない。事業体として一体化させなければダメだということは三木谷氏はよく
わかっているはずだ。もしわかっていなければTBS経営陣も株主も納得させることはできず、ライブドアの二の舞に終わる。もし楽天とTBSを上場させた状態のまま共同持株会社の形態にこだわるならば、事業会社間で配当の形でキャッシュを循環させる必要があるが、これは効率が悪い。かと言って現在の両社の株式をバイバックして持株会社を設立するのは恐ろしい額のキャッシュがいる。三木谷氏がショックを和らげようとしているのは理解できるが、早晩今の提案内容では行き詰るはず。TBS経営陣としては「既に持株会社形態をとっているTBSのストラクチャーを活用してTBS持株が楽天の株を相当数持って配当の形で楽天
のキャッシュを吸い上げたほうが三木谷さんの言っている融合系の実現とネット系企業から放送事業へのキャッシュシフトにはいいのでは?」という逆提案もできるかも。たぶん今頃TBSではスポンサーファンドを探してパックマンディフェンスを企画しているはず。うまくいかなくても楽天と株式交換して取り戻せば
いい。また近い将来に楽天株は急上昇するだろう。今日はいい押し目ということか。

(その後、楽天のファイナンスが苦しいということで、エクイティファイナンス必至ということなのでどうなるか予断を許さず。MSCBで、乱高下??)

11)現在、消費者属性情報を本業で収集できている通信系IT企業がいくつかある。その中で代表的なのが楽天、アマゾン、eBay、そしていつの間にかITMSを通じて流通事業に出てきたAppleといったマス向けeコマース企業。次に検索エンジン系ポータルであるGoogle、Yahoo、MSN、3つめは携帯事業者である。属性情報への依存度と既に収集した情報の密度の高さから考えてより既存メディアへの意欲や親和性が高いのはeコマース系であろう。しかし検索系でもGoogleは特殊な動きをしている。キーワードは「パーソナル指向」である。

12)今まで書いてきたように今後は消費者の消費行動をできるだけパーソナルな活動領域で捕捉してそこでの属性情報を蓄積することがより効果的な広告宣伝メディアとなる必要条件である。そういう意味でネット上の特定のところに情報を集積してそこにアクセスと広告を誘導するといういわゆる「ポータル」事業というのはこの流れに逆らう動きとなる。もちろん各社ともパーソナライズ機能の強化には力をいれているが、ポータルサイトの価値を維持することとパーソナライズしたサイトの機能強化を両方とも最適化していくのは相当なジレンマがあるはずだ。そこを考えると検索系でパーソナライズを本格的に指向しているのはGoogleである。今後はeコマース系とGoogleがどのように連携、合従連衡しながら、かつ地上波放送コンテンツを取り込みながらパーソナル・ダイレクト広告メディア市場を形成していくかが焦点になる。

☆ポータルとパーソナルポータルの対立の構図についてはまた別の機会に触れたい。

「通信と放送の融合」の本質(その1)

(以下の記事は2005年10月17日にLivedoor Blogに投稿していたものを現時点に於いても考察として何らかの意義があるであろうということで再掲するものである。事実、この記事は各種検索エンジンサービスによってもかなり多くの閲覧を得、その後発表された多くの著作にコンセプトを『応用』されている。その功績?に苦笑しつつ・・・。)


楽天の動きを契機にまた「通信と放送の融合」というキーワードがメディアをにぎわわせている。この動きは「融合」という言葉で錯覚しやすいが本質的には「消費者属性情報を誰が握り、広告宣伝費と販売促進費
という大きなマネーフローを誰がどのように握るか?」という点に帰結する。

よって単に企業間の合従連衡のパターンがどうかとか融合したビジネスがどうつくれるかという表面的な議論では事の本質はつかめない。

言い古されていることも多いことを承知で少し謎解きをする。

1)現在のマス4媒体(テレビ・ラジオ・新聞・雑誌)はスポンサー企業の広告出稿、イベント等のSP費用によってコンテンツを製作・編成して収益を得ている。これはメディア媒体がスポンサー企業の広告宣伝販促行動にとって効果的だという前提(いまや幻想)によって支えられている。しかし、マス4媒体を通じて流れる広告は最終消費者に必ずデリバリーされているわけではない。また、消費者の属性に応じた効果的な広告のデリバリーが行われていない以上、スポンサー企業にとってのROIは低位安定するという宿命がある。

2)インターネットと携帯の普及はスポンサー企業が媒体から最終消費者の属性を得ることができれば、より購買行動に結び付けやすい広告宣伝販促をダイレクトにリアルタイムにかつ選択的に流すことを可能とする。

3)楽天やアマゾンといった新興IT企業(かつ現時点で馬群を抜けてとりあえずの勝ち組になっている企業)は自社のサービスを利用している消費者の性別・年齢・住所・関心事・過去の購買履歴という消費者属性情報を莫大に蓄積している。他のインターネットメディアも少なからずそうである。この属性情報は広告宣伝販促を行おうとするスポンサー企業からすれば喉から手が出るほど欲しい「お宝情報」である。とにかく企業ブランドを広めればよいと考える企業は除いて、直接広告の受け手に購買行動を取らせたい企業にとって、マス4媒体ではリーチし得ない消費者にダイレクトに繋がることを可能とするインターネットと携帯は新しいメディアだ。そうなるとROIに敏感な企業ほどネット広告・携帯広告にシフトしていくことは自明である。放送局の収益がさがって、新たなメディアが収益を伸ばしているのはそういうことだ。

4)ところが、現在のIT企業はまだこの可能性を十分に開花させてはいない。自社のサービスを通じて得た消費者属性情報はもっぱら自社のサービスをさらに利用させることに活用されている。しかし、もう彼らは気づいてしまった。

5)現在の日本の広告宣伝費・販促費市場は約5兆円。この、今までマス4媒体に独占されてきた莫大なマネーフローを自分達のフィールドに寄せることができたら・・・・。そしてそれは可能なところまで来ているのだ。自分達が従来のマス4媒体に成り代わるメディア企業になればよいのだから。

6)消費者の可処分所得・可処分時間には限界がある。IT系のサービスが今後いくら便利になろうとも、最終消費者から「引っ張れる」金には限界がある。既に通信キャリア系IT企業が音声ビジネスやインターネット接続サービス+αのサービスを提供しているが、これらは競争と価格低下で数年以内に無料か公共財として限りなく安いサービスに成り果てる。よって今、勢いのあるIT企業とはこうした無料化へ向かうインフラサービスの上で展開するプロダクトを持っている企業であり、属性情報を着々と蓄積している企業である。さりとてこうした企業でも利用料、手数料収入には限界がある。時代とともにインフラサービスの二の舞になって価格低下圧力と過当競争によって収益が圧迫され始めることは見えている。となれば5兆円市場を誰がいつ巧妙に自社収入として取り込んでいくかが鍵になっていくことは論を待たないであろう。

(書評)靖国問題



(2005年10月17日にLivedoor Blogに掲載したものを再掲)

小泉首相がまた靖国神社を参拝した。首相就任以来5回目だそうだ。
この夏は靖国に関する色々な著書を読んだ。この本もその一つだ。

私達の世代は靖国の成り立ちなどについてあまりよく理解していない。
直接よく知っている親族で祀られている人がいるわけでもない。
だから、ホリエモンではないが私も一度も参拝したことはない。

ただ、なんとなく違和感を感じるのは先の戦争で犠牲になった人々
(英霊というのか)に対する感謝の気持ちや二度と戦争を起こしては
いけないという素朴な気持ちと、戦争犠牲者をご神体として信仰の対
象とすることは別なのではないかということだ。ましてその祀られて
いる人達の国籍・信仰する宗教において本人や遺族の意思を曲げて強
引に合祀しているとなるとそれは一体誰のためのものかということに
なる。

色々な書籍を読んでわかったことは靖国は「先の戦争を称揚し、国家
による国民の徴用は正しかった。だから遺族はそれを家族を失ったこ
とを悲しむべきではない。むしろ誇りに思うべきなのだ」と広くアナ
ウンスするための「装置」だということだ。以前は国家のバックアッ
プを受けた唯一の宗教的鎮撫・国威発揚装置なのだ。

とすればこの「装置」を精神のよりどころとして必要とする人達は今
となってはごく一部となるであろう。そして、この装置はその成り立
ちから言って小泉首相の言う「不戦の誓い」をする場所としてはおよ
そふさわしくない場所ということが瞭然となるのである。

私は戦争の時代を行きぬいた先祖に深い敬意と感謝の意を持っている。
しかし、私がその気持ちを伝えるのは靖国でではなく、お墓参りの時
であり折々に思い出す彼らの面影に対してであるのだ。そして私はそ
ういう人は現代の日本人においては少なくないのではないかと思うの
だ。

何がしかの信念があってやっていることをあえて否定はしない。しか
し、それが正しい知識・理解に基づいて行われており、かつ不必要に
周囲と摩擦を起こさないことが前提となるだろうと考える。

(書評)日本人のための宗教原論



意外に宗教のことって知らなかったんだなあということを実感。仕事柄、外国人との付き合いは多いが彼らの思想的バックボーンに宗教が根深く関連していることをたびたび思い知らされて改めて手にとった。
こういうことを知らないとなかなか人は人を理解できないのかもしれない。

2007年3月14日水曜日

(DVDレビュー)押尾コータロー「ドラマティック・ライブ」



押尾といえば学という人もいるが、私は断然コータローだ。

彼のDVDの中ではこれが最も秀逸。音声・映像・カメラワークがコンサートに行った気分を
上手に盛り上げてくれる。

アコースティックギターを弾かない人も彼のテクニックを見ると自分で弾きたくなるはず。
一度見たらヘビーローテ、請け合い。

超オススメ。

(書評)フラット化する世界

「アップローディング」「インソーシング」「アウトソーシング」「オフショアリング」「サプライチェーン」という形が、「デジタル」「モバイル」「ヴァーチャル」「パーソナル」に展開されることで世界は限りなくボーダーレスになっていくということが書いてある。

これを仕事や日々のネットワーキングで体感している人には面白く、これを読んで「ほっほー」と知識として捉えようという人には意味なく饒舌な本。

ウェブ進化論よりもGoogleを体系的に捉えたい人にはオススメ。



(書評) 他人を見下す若者たち




以下、実話。

私「今度、水曜日の夜は何もないので都合のつく人は一緒に暑気払いでもしませんか」

仲間A「いいですね。行ける人、手をあげてー」

仲間B「行きたい。でも水曜日はテニススクールに行っているからそれは欠席したくないんです。だから木曜日にしてほしいんです」

私「木曜日は発起人の私が都合が悪いので残念だけど、水曜日で都合の付く人で行こうか。皆が都合が合うわけではないからBさんが木曜日組の幹事をやってみてはどうかな」

仲間B「それはひどいと思います。どうして僕が行けない日にわざわざ飲み会を設定するんです
か?僕は是非参加したいんです。」

私「そこまで言ってもらえるなら、テニススクールの都合がつくといいね。」

仲間B「それはできないです。週に一回で非常に楽しみにしているので。だから飲み会の日を変えてほしいんです」

私「別に意図的に貴方の参加を妨げようとしているわけではないんだ。行ける人だけで今回は行こうという軽い飲み会なんだけど」

仲間B「僕、絶対に行きたいなあ。なんでそういうイジワルをするんですか。マネージャーはその辺を考慮するものなんじゃないですか。」

私「残念だが今回は都合が合わなかったということだろうね。また次の機会に一緒に行こう」

仲間B「これはひどい仕打ちだと思います。」

その後、「本当に水曜日にやるんですか?」としばらくブツブツ言われる・・。「いかに自分がその飲み会に行きたいか」を延々と述べる。

繰り返すが、これは実話である。たまたまこのことがあった直後になぜこんなに自己愛が強く責任を人に
かぶせるのか?と思い続けてきたところに出合った本。

前振り長いな、今回。

あーそういうことなんだって思ってぞーっとした本。

ちなみにこの本に関する他のレビューを見ると「まず見下しているのは若者だけではないはず」という意見が少なからずある。既にそこに筆者、編集者がタイトルに込めたトラップに引っかかっている人がいることが考察できる。

自責と他責という観点で行くととにかく自責で考えてみようというのがこの本の主旨だが・・。

(書評)食品の裏側―みんな大好きな食品添加物

良書。

帯には「知れば怖くて食べられない」と書いてあるが、実際には食品添加物のプロが書いた理性的な話で、いたずらに危険性を書くのではなく光と影の両方を理解して賢い消費者であろうと呼びかけている。

で、賢い消費者たらんとする時に一番大事なことは正確な情報公開原則の下に自己責任原則で商品を選ぶことなのだが、現在の食品衛生法では原材料表示方法に重大な欠点があると書いてある。(詳しくは読んでみてください。ここは確かに怖いし、腹立たしい。)

厚生労働省って本当に国民をバカにしているか健康を守る気がないんだな。

食品添加物の危険性って単体ではいくらまでが危険というデータがあるが、複合摂取した場合の危険度を誰もチェックしていないって知ってましたか?

添加物の喰い合わせとアレルギー疾患の発生の相関についてもっと研究公開すべきだろうな。

(書評)瀕死のライオン

特殊作戦群(SOF)を描いた北朝鮮シミュレーション小説。

ミサイル発射などもありタイムリーな話題。著者は公安等、通常表に活動内容が出ない政府機関の動きについて丹念に取材するのが持ち味。

サブストーリーが多重化して人物描写がやや散漫で、結局どの登場人物にあわせて物語の世界に入っていけばいいのか最後まで絞り込めず。

取材力ほど構成力はないということか。

同じ主題であれば福井晴俊の「オペレーション・ローズダスト」のほうが人物描写は秀逸。

取材の麻生、構成・表現力の福井というところか。







(書評) 3びきのかわいいオオカミ

タイトルからもわかると思うが3びきのコブタの逆ヴァージョンである。オオカミの兄弟がちからをあわせて自分で家を建てようとするのだが、ことごとく意地悪おおブタに邪魔されます。

しかも最初にレンガのおうちからつくっていくのに・・。

元の3びきのコブタを知っている子供にはウケます。

たまには息抜きした読み聞かせもいいなあとお考えの方に。


2007年3月13日火曜日

(CDレビュー)cure jazz

UAとここまでがっぷり組みたいと思った菊池と菊池の音楽に体全体で応えたUAのコラボ。

たぶん明日はまた違うことをレビューに書きたくなるだろう。その時の気持ちでツボは変わり、またどんなときでもこのアルバムの中にツボはある。

だからCure Jazz。UA好きは何も言わずに買え。

(書評)バイアウト

(注:このレビューも去年9月に書いたもの。丁度、今NHKの土曜連続ドラマで「ハゲタカ」をやっている。原作とは設定も違うがエッセンスは残っており、おもしろい仕上がり。)

(レビュー初稿↓)
前作のハゲタカを読んで主人公の鷲津のキャラが気に入ったのでつい・・。

前作よりもM&Aのテクニカルな手法が減り、より企業再生の現場と米国資本をめぐる人間模様に焦点があたっている。作者が人を書くのが一作ごとにうまくなっているせいもあるだろう。

他にメディアやエネルギー関連の良著もある新進社会派作家。この人の本は出たら必ず買うことにしている。







(書評)「半断食」健康法

(注:以下のレビューはマイミクのみのmixi上で2006年9月に書いた。そしてあれから半年。個人的には効果を認めたので広く目に触れるところに改めて書く。このリズムでの食生活をしている限りにおいては非常に快調だったし、丁度その頃に禁煙したのだが、体重の大幅な増加も防げている。逆に正月などでリズムが崩れるとテキメンに逆効果が出た。やっぱり現代人は食べ過ぎているんだな。夜は普通でいいというのが長続きしやすいコツ。昼間食べられなくても夜になれば・・・と思うと我慢できるものだ。)

(レビュー初稿↓)
今、お世話になっているビジネスコーチと雑談していて、彼がこれをやっていてとても快調だということで、この本を紹介していただいた。

基本的に今の人間は余計なものを多く体の中に取り込みすぎていて、それが様々な弊害になっている。

食べる量が少なければ、体は取り込んだ栄養素を生きていくのに必要なところに優先的に回していくので体のシステムの無駄がなくなり、浄化が進む。というのが基本理論。

朝:ニンジン+リンゴジュース
昼:麺類
夜:アルコールも含めて普通に食べたいもの
  を食べる

という非常に簡単なメソッドで驚くほどの効果が出るらしい。これなら確かにできそうだし、ダマされたと
思ってやってみようかな。冷え性の女性にも効果があるそうです。マイミクの中にいる冷え性持ちの方、試してみてはいかが?

ちなみにそのコーチの方は2週間くらいで背中のにきびがすべてなくなったそうです。
俺の場合、何が消えるのか?髪の毛?


(書評)「物語力」で人を動かせ!―ビジネスを必ず成功に導く画期的な手法

これもビジネスコーチに読んでみたら?と渡された本。

確かにロジカルライティング、ロジカルシン キングと言う系統の本を今まで多く取り入れてきた気がする。
実際のところ、どこまで自分が論理的かはよくわからないが。

最近うちの社内でアンケートをとったところ、「数字や業績はもういい、幹部は将来像や夢を語ってくれ」という社員が結構いた。

で、この本だ。ロジカルにプレゼンされたことは頭にツルッと入ってくるが、ツルッと抜けていく。
引っ掛かりがない。でも物語力で話されたことは共感があり、感動があるからいつまでも記憶に残り、その後の行動を伴うという。

特に日本人にはプロジェクトXのようなまさにストーリーを好む傾向があるので有効だという。昔、電波少年が高視聴率を稼いだのはすべての企画が物語に視聴者を巻き込むように作られていたからだという。

あざとい。非常にあざとい。でも自分の引き出しに入れてみよう。ストーリーテラーになってみるのだ。

理がダメなら情で押せ。情がダメなら理で押せ。常に使い分け続けよ。そういうことをこの本は教えてくれる。

(書評)チェーザレ破壊の創造者

塩野七生の「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」はピンとこなかったのに、なぜかこっちには反応してしまった。描くに当たっての作者の検証作業の差なのか、文章と画の表現力の差なのか、塩野氏よりもキャラの立たせ方が見事だと思った。

カエサル、シーザー、チェーザレ、同じ名前でも呼び方によって当然響きが異なる。しかし、いずれも覇権を目指し、敗れた者達である。

今後の展開が楽しみ。



(書評)パズルパレス

ダビンチ・コードの作者の処女作。

後年の片鱗は見られますが、やはりキャリア不足。面白いけれどかなりご都合主義な展開もあり。ジュフリー・ディーヴァーが書いた失敗気味のジェットコースターストーリーという感じ。(ディーヴァーのファンの方、すみません。)

単行本(上・下)二冊はコストパフォーマンスとしては×。文庫になってから気軽に楽しみたい。



(書評)あなたの話はなぜ「通じない」のか

その人との間に「信頼の貯蓄」があるかないかによってコミュニケーションの質は全然違うものになるだろう。と、以前から漠然と考えていたが、この本ではそれを「自らを『メディア化』する」という言い方で解説している。

どのメディアが信ずるに足るかというパラドックスが起きている現代でジェネリックに「メディア化」というのも危険だが、言わんとすることは全く以って同感である。

スキルだけでも想いだけでも話は通じないということ。

これも伝える技術の一つだとはわかっているが、私には同じことを何回も書いて冗長に思えたので☆4つ。

(書評)14歳

この人は昔の自分の気持ちとか見たこと聞いたことをきっと鮮明に覚えているんだろう。

鮮明に覚えすぎていてどこに何の言葉をあてはめたら記憶が文章として再現できるのか? そうした作者のいらだちが時々文章ににじみ出ている。 そのいらだちが「ゆらぎ」を生み、その「ゆらぎ」は14歳の不安定な心の動きとシンクロする。 文章は荒削りなのに知らず知らずリズムに乗せられ最後まで一気に読みきった。

手元に置いておくことになるかもしれない。

(家庭用電化製品レビュー)DAIKIN フラッシュストリーマ 光クリエール ACM75G-W



(注:ここに表示しているものはうちで使用しているものとは厳密には違う。理由は我が家では昨年の型を使用しており、このレビューは使用後一年の経験に基づいているからである。)

空気清浄機にも機種があまたあることはわかっている。が、やはり色々と吟味してダイキンのフラッシュストリーマにしたのが丁度一年前。一年間使ってみて、その判断は全く間違っていなかったと思う。まずは1)各種センサーの的確な動作 カバーエリアの広さもあるが、定期的に風の対流を起して機械に特定エリアのホコリを戻してくるというメカニズムがすごい。2)花粉処理の徹底さ 花粉症のひどいうちの家内であるが、これを部屋に置いているまず症状はでない。これは花粉を完全にクラッシュして非アレルゲン化するからである。 やはりこういうモノは業務用機を扱っているメーカーに限る。食器洗い機でホシザキ製が優れているのと同じ理由である。

☆今やっている広告によるとフラッシュストリーマ分解技術はノロウイルスの抗原も分解するそうな。

(書評)プレイボーイの人生相談―1966-2006

開高健が好きで彼のプレイボーイ誌上での人生相談を集めた「風に訊け!」という本を読んだことがあるが、本書は開高氏も含む歴代の相談者の名(迷)回答を集めたもの。

どれも味わい深いが、アントニオ猪木氏が「一歩踏み出した以上は行くしかない。ストレス(悩み)もあるけど、ストレスは俺の前にあるのではなくて俺のほうが常にストレスより速く動いているので後ろにしかない。」と言っているのはなんかスゴイ。過去の自分にストレスを感じるよりも速く自分を変化させていけばいいわけだな。これだけでこの本を買ったかいがあった。 あと・・松本人志はやっぱ深いな。





(書評)なんじゃもんじゃ博士 ドキドキ編

クレヨンハウスのRead Aloudワークショップに 参加した後で見つけて買ってきた。絵本の世界で独特の世界観を見せた長新太さん が「まんがどうわ」を書くとこうなるという本。 絵本で、「え?何これ」と思った人も多いかと思いますが、この本は体から、特に頭皮から自然に力が抜けて年齢問わず笑えます。うちは家族全員でハマリました。「ハラハラ編」も買おうっと。




(書評)男も知っておきたい骨盤の話

あの名著「骨盤教室」の著者が男性向けに書いた 本。骨盤&肩甲骨開閉理論・インナー&アウター マッスルバランス論という基本は変わらないがより 男性視点で書かれたもの。 この本を読むと初動負荷トレーニングというのは 可動域を拡げつつインナーマッスル強化をする 非常に優れたトレーニングだなと再認識した。 「開き座り寝」と「正座で寝」を一分ずつで インナーマッスル強化というのはいいが、 久々に「正座で寝」をやったら前腿がちぎれそ うになった・・。昔は気持ちよく伸びたのになあ。

(書評)なぜナイスショットは練習場でしか出ないのか―本番に強いゴルフの心理学

ビジネスコーチから送ってもらった本 「ゴルフ場での心理学」という触れ込みだが 充分にビジネスの現場でも通用する。 自分をいかにして安定的に「ゾーン」に入れ 優れたパフォーマンスを出し続けるように コントロールするか? どこまで普段からシビアさを追求していない といざという時にパフォーマンスが出せないか? 例えば、「プロはパッティングの際にカップ ではなく、カップ手前の芝一本に当てること を狙って打つ」とか。 これって視点を変えると何にでも応用が効く。 本番に弱い奴にはなりたくない。