2007年4月21日土曜日

(レストランレビュー) Elio Locanda Italiana (エリオ・ロカンダ・イタリアーナ)

エリオ・ロカンダ・イタリアーナ

半年間ビジネスコーチングをしていただいたコーチと会食。
ご馳走になってしまったので値ごろ感はわかりませんが、食事はパーフェクト。

とにかくオススメを聞いて注文してから出てくるまでにまったくムダがない。
エノテカ・ピンキオーリはここの爪の垢を煎じてのむべきだ。

ユウキさんがうちのテーブルを担当してくれた。
今日はお魚で通してみる。千葉の房総の朝取りの魚。

アオリイカ、石鯛のロースト。ゴルゴンゾーラのリゾット、ウニのカッペリーニ。
食べたいものを食べたいだけお願いして出していただけます。組み合わせも自由。
うますぎです・・・。

ユウキさんオススメのワイン&デザートワインもお料理を数倍引き立てます。

入店した7時台はまだ日本人のお客さんが多かったのですが、時間が遅くなる
につれて、どんどん外国人(たぶんイタリアン)が増えていきます。

デルピエロとかブルガリのシグニチャー入りの額が店内にたくさん貼られて
いましたが、異国でイタリアンが食べたい時に行きたいお店なのでしょう。

絶対にまた行きます。自腹でもぜんぜん惜しくない!

2007年4月15日日曜日

(書評) 一瞬で自分を変える法―世界No.1カリスマコーチが教える



アンソニー・ロビンスの名前もあって売れているようですが、あえて買うほどでは
ないような気がする。

言っていることはイントラパーソナルコミュニケーションの重要性で、
自分とどうコミュニケーションして 
1)悪いイメージを排除し 
2)前向きに物事を捉え
3)モチベーションを高く維持し 
4)なりたい自分になるか
ということである。

NLPのテクニックのひとつにアンカリングという手法があって心地よい体験と
その時のきっかけを結びつけてあげることで、きっかけを再現することでいつで
も心地よい体験を再現して自分を高揚させたり、落ち着かせたりするのがあるが
要はセルフアンカリングとでもいう手法で自分で自分によいイメージと暗示を
加えていくことが書いてある。

すでに先のエントリーで書いた「新年の魔術」とか「オプティミストはなぜ成功
するか」とかその他数々の成功哲学の底辺に流れているものと同じである。
こうしたベースの成功哲学やNLPの知識がない人には導入として読むにはいい
かもしれないが、少しでも知っていたらわざわざ買う本ではない。

(書評) 影響力の武器-なぜ人は動かされるのか



「承諾誘導」という言葉がある。
人にイエスと言わせ、一定の行動をとるように促す技術である。

ルルーシュの持っているギアスのようなものだ。(一部にしかわからない表現
だ・・)

宗教・化粧品・エステ・英会話教材・映画チケット・・・・世の中には人を勧
誘し、お金を払わせようとする輩が数多くいる。まっとうなものならいい、本
人が納得しているならいいと思うかもしれないが、高等な承諾誘導は「まっと
うだ」「自分で納得した」と思わされるほどよくマインドコントロールを施す。
そこまでいけば返金トラブルが起きないからである。

この本は著者とその研究グループが数多くのこうしたセミナー、勧誘の場に潜
入し取材し、勧誘者のテクニックのうち「これは逃げられない、イエスと言わ
ざるをえない」というキラーテクニックを6つの心理カテゴリーに分類し、こ
う攻められると普通勧誘された、説得された側は逃げられないというテクニッ
クを解説したある種、悪魔の書である。

少々値段は高いし、訳語もところどころこなれていないところがあるが、コス
トパフォーマンスは非常に高い。

読み終わった時には貴方の左目が赤く光るようになっているかもしれない。
(もうルルーシュネタはいいですね、失礼)

(書評) 信念の魔術




先のエントリーで新入社員向けメッセージのひとつとして「3年後になりたい
自分をイメージし、そのイメージを可能な限り精緻なものになるまでディテー
ルを追求せよ」と書いたが、その下敷きになっている本のひとつ。

アメリカの成功哲学によくある「思考は現実化する」「潜在意識をコントロー
ルする」という考え方の基になっている古典ではなかろうか。

実は私は子供のころから空想しがちな子供で、いろいろなシチュエーションを
勝手に想像しては怖がったりうれしがったりして周囲とはずれた世界にいるこ
とが多かった。長じるにつれそれは自分の将来についても空想→妄想へと拡が
ったが、その過程で明確に実感していることがある。

精緻な将来イメージを作るためには、そうありたいという強い欲求がなくては
ならず、逆に強く願ったことは必ずかなってきたということである。

この本は特に具体的な方法が書いてあるわけでもなく、要は「信念と呼べるレ
ベルまで強く思い描いたことは必ず実現する」という唯一の主張がさまざまな
例を通じて繰り返し紹介されているにすぎない。実感のない人には何を根拠の
ないことを・・・と思うかもしれないが、私は実感しているので素直に読み取
れた。

まずはなりたい自分、かなえたい将来を徹底的に細かくイメージしてみてはど
うか?言い方を変えるとイメージできるかどうかで自分の思いの強さを測って
みてはどうか?

だまされたと思ってやってみても何も損はない。
ただ自分の中で妄想しているだけで誰にも迷惑はかけないのだから・・。

2007年4月14日土曜日

(メモ)新入社員へ贈る言葉

一応、会社の戦略について一時間話したのだけど、つい
昔の新入社員育成担当時代の血が少し騒いでアドバイス
めいたものを余計に話した。

1)まずは「信頼の貯蓄」をしましょう。
  「こいつは仲間だ」という感覚を皆に持ってもらう
  ことが大事。そのためには「逃げない」「嘘をつか
  ない」「手を抜かない」

2)コミュニケーション能力を磨きましょう。
  よく言われている他人とのコミュニケーションも
  さることながら、自分とのコミュニケーション能力
  がこれからは大事。その日一日を自分でどう総括する
  か?次のために自分に何をどう問いかけるか?
  この、イントラパーソナルコミュニケーションスキル
  が常に自分のモチベーションを高く維持し、向上させ
  新人時代の不安定なメンタルを健康に保ってくれる。

3)3年後、5年後のなりたい自分、できるようになり
  たいことをイメージしよう。そしてそのイメージを
  ディテールまで精緻なものにしよう
。イメージが
  正確で細かければ細かいほど今とのギャップがクリア
  に意識できる。そうすれば必要な情報・人脈・スキル
  アップのためにやるべきことへの道筋がおのずと自分
  の前に開けてくる。チャンスは将来イメージをよりク
  リアに頭の中に持っている人の手元にやってくる。
  イメージが曖昧な人はチャンスに気づかない。

4)会社との関係は恋愛と同じだ。片思いのままでは
  長続きはしない。会社が自分のことを好きだと言って
  くれていても自分が好きになれなかったら辞めなさい。
  また自分は好きでも会社があなたを大事にしてくれ
  なくなったらその時もやめなさい。相手が自分を
  去年よりも違う自分にしてくれていない、また自分も
  去年と違うバリューを会社と共有できていないと
  思ったら一緒にいるべきではない。

5)悩みがあったら信頼できる人に話をしなさい。
  漠然とした不安を漠然としたまま頭の中、心の中に
  しまっていてはいけない。必ず言葉にして人に話す。
  そうすると曖昧だったことがいったん明確になって
  意外に自分で解決手段を思いつく
。できれば自分の
  話をうまく理解してまとめたり、再整理してくれる
  友人がいるとよりよい結果が生まれる。そういう仲間
  は大事にすること。

2007年4月10日火曜日

(書評) オプティミストはなぜ成功するか



コミュニケーション能力と呼ばれるものには二つある。
ひとつは他人とのコミュニケーション。話し方、プレゼンテーション、説得、
コーチングなどなど。もうひとつは自分とのコミュニケーション。イントラ
パーソナルコミュニケーションと呼ぶべきものである。

イントラパーソナルコミュニケーションは「自分への問いかけ」「自分への
説明」であり、このスタイルが性格や人生、健康状態などその人の生き方を
大きく左右するというのがこの本の主旨だ。

タイトルにあるようにオプティミスト(楽観主義者)傾向がペシミスト(悲
観主義者)よりもよいという大筋だが、ただ一方を勧めるのではなく、オプ
ティミストであったほうがいい場合とペシミストであるほうがいい場合が
ちゃんと書かれている。要はバランスだ。

「思考がネガティブなスパイラルに入りやすい人の傾向は?」

「人はなぜうつ病になるのか?」

「幼少時は男性がよりうつになりやすく、大人になってから女性が男性の二倍うつになりやすいのはなぜか?」

「一時的、特定的、外的に起こっていることを永続的、普遍的、個人的に捉えて自分に説明することの危険性とそうした説明スタイルの転換法」

が知りたい人は読むとよい。

キーワードである「一時的、特定的、外的」と「永続的、普遍的、個人的」という概念はわかりにくいかもしれないが、例をあげると

メールを送ったのに恋人からすぐに返事のメールが来ない時に
「私がいつも自分勝手にしているからメールがこなくても仕方がない」
(永続的、普遍的、個人的)と考えるか、
「あの人、今週残業だと言っていたからきっとバタバタしてるんだろう」
(一時的、特定的、外的)に考えるかの違いと言えばわかりやすいか。

逆転ホームランを打たれた野球のピッチャーが
「オレはいつも肝心な場面で球が甘いコースにいってしまうんだ」
と自分自身に説明して納得するのか
「今日は、あいつがオレよりもうまくやったということだな」
と総括するか?と言い換えてもよい。

やや冗長なところもあるが、丁寧に事例を紹介し、時にテストをしながら
読者に持論を展開していく良著。子供が楽観傾向が強いか悲観傾向が強いかをインタビューするテストも載っている。

今度、娘にやってみよう。

2007年3月26日月曜日

(レビュー)BEST OF TOKYO SKA 1998-2007



Wikipediaでスカパラの項を読みながら思い出したこと。

最初にスカパラを聞こうと思ったのは丁度就職した17~18年前位かなあ。新入社員時代に意味もなくもやもやしている時に何かの雑誌で渡辺満里奈が「オザケンとスカパラは聞くと意味もなく元気が出る」とインタビューで答えているのを読んだのがきっかけだった。(オザケン・・・懐かしいなあ)

それ以来、「意味もなく」元気をもらっている。当時はスカなんてジャンルは知らんかったけど、結局その後トリニダート・ドバコのソカとか、ソンとか中南米系リズムに入っていくきっかけはスカパラだった。

もうこっちも40代になって、スカパラも色々とあってお互い頑張ってきたよねという同志にも似た感情さえ最近では湧いてくるわけだが、またこのBest Albumでフガフガ言ってテンション上げて行こう!って思ったんだ。

Miele(ミーレ) Blue Lagoon 掃除機(商品レビュー) 



マーケティング的な流行はDyson(ダイソン)のようだ。「吸引力の衰えない唯ひとつの掃除機」と言っている。

しかし、比較検討の結果、我が家はミーレにした。渋谷の道玄坂上のショールームにも行ってじっくり説明も聞いたが、ミーレは

1)Dysonと同様にやはり吸引力が衰えることがない。(ミーレは宣伝していないが)

2)フィルターろ過後の排気が上に出るので、他社製品と違って床表面を気流でかき乱して掃除が終わった頃にホコリが床に舞い降りてくるということがない。(同じく自宅で利用しているダイキンの空気清浄機フラッシュクリエールとの高い相乗効果が期待できる。

3)別売のフィルターが機能に応じて選べ、かつ高機能である。

4)種類が沢山あるが(Cats&Dogs他)、基本構造は皆、一緒なので後からアタッチメントをつけると用途に応じて機能強化が簡単だ。

5)通販生活が独自レビューの結果から昔より掃除機の推奨商品にしている。

ということで勝ち残った。

正直言って、手元ホースの取り回し安さなどは国産のほうが気が利いているのだが、ここは掃除機という原点をどこまで愚直に追求しているか?機能拡張が柔軟にできるか?流行(ハヤリ)に左右されない造りになっているか?で判断した。

もう半年近く使ってみているが、いい買い物をしたと非常に満足している。オススメである。
  
(参考)Dyson

2007年3月25日日曜日

(書評)『テレビCM崩壊 マス広告の終焉と動き始めたマーケティング2.0』

(2006年7月30日 Livedoor Blogより再掲)

面白かったというよりは、このブログで昨年秋に既に書いたことが追認されたということか。「ウェブ進化論」もしかり。

「Web2.0」や「通信と放送の融合」と呼ばれるものは詰まるところ広告宣伝費の分捕りあいに他ならず、そのための個人消費者属性情報をいかに効率良く収集するかというビジネスモデル狂騒、もとい競争なのだ。

お時間のある方は過去のエントリーを参考にされたい。

(書評)馳星周 著作

おそらく馳星周の作品群は書評するのが難しい部類だと思う。面白いが、作品ごとの個体差がない。

名前とキャラが強烈に残るのは「不夜城」「鎮魂歌」「長恨歌」シリーズの劉健一くらいで、残りの作品は劉を越えられないキャラが大して代わり映えのしないストーリーのもとでダラダラと社会の底辺でうごめくだけの作品群が最近まで続いている。

「蛇頭」「黒社会」「マフィア」「密入国」「薬(ヘロイン・シャブ)」「銃」「SM」「同性愛」「同郷」「フェチ」「在日二世」「ヒモ」「ヒモにたかられる女」「ドロップアウト」「悪徳警官」といったキーワードで構成される登場人物数名を「歌舞伎町」「錦糸町」「台湾」「香港」「バンクーバー」を舞台にヤったり、ヤラレたり、殴ったり、殴られたり、殺したり、殺されたりしているのが馳星周ワールドである。

馳はこのロンドを立て続けにやると飽きられるので適度な感覚で再生産して発表している。もともと稀代の「読み手」「書評家」として売り出してきた彼のことである。おそらく自分がそういうシステムでやっていることをとっくの昔に意識していることであろう。

私は彼に期待しているから作品を買い続けている。わかった上で。でも付き合えない人は不夜城三部作だけ
でいい印象だけ持っておきましょうね。





米国産輸入牛肉

(2006年1月30日 Livedoor Blogより再掲)

既に出回っている730万トンについて

・追跡調査の必要はない
・そちらは安全性に問題ない

という二つのポイントを政府が自信を持っていえる理由はなんだ?

たまたま抜き出した箱に明確にわかる骨そのものがあったのだろう。たまたま抜き出さなかった分になぜ混入していないと言えるのか?「日本向けの牛肉にそんな規制がかかっているとは知らなかった」と
米国の検査官が言っているのに危険部位が混入していないとなぜ言えるのか?

しばらく外食で肉は食べられない。

皇室問題は「人権」問題ではなのか?

(2006年1月29日 Livedoor Blogより再掲)

今国会で提出される皇室典範改正問題だが、突き詰めるとこの問題は皇室にいわゆる「人権」があるかどうかということに他ならない。

伝統を重んじればその重さに犠牲になる人がいる。普通に考えて男系だけでひとつの家系がこれほど長く保たれると生物学的にも通常はない。そこには人の意思を無視し、皇統を保つという「意志」に基づいた人権侵害が継続的にあったと思ってよいはず。

昔はそれでもよかった。天皇はいわゆる「人」ではなかったのだから。伝統に順ずることも「人」ならぬ「やんごとなきお方」としては耐え忍ぶ必要もあったであろう。

しかし・・・・

皇室典範擁護派の中には「皇統はGHQも不可侵であった貴重な伝統です」という幸せな意見を展開している人もいるが、GHQは「天皇家を人にする」しかも、天皇陛下自らに「人間宣言」をさせるという、それまでの
皇統という伝統の価値を無価値にし、そこに人権問題を持ち込むという大きな時限爆弾を埋め込んだ。この意味をわからずしてこの問題を論ずることはできない。

もう皇室は「人」という価値に基づいた「装置」なのである。したがってすべての皇室問題は人権に配慮した形で進められなければならぬ。

今、男系天皇しか認められぬと主張する人たちよ。あなたたちはなんたる権限を持って「人たらんとする現皇族」にそれを強制し、求めるのか?それとも皇族はいまだ伝統のみに支配され人間宣言をしながらも人権を認めることのできない種族であると主張するのか?

監査法人の監査は誰がやるのか?

(2006年1月24日 Livedoor Blogより再掲)

しゃれではないが表題のような疑問が日本でも出てくる時代になった。

アメリカでエンロン、ワールドコム問題を契機に内部統制に関する法律(サーベンス・オクスレー法:SOX法)ができ、日本でも2008年3月から日本版SOX法(J-SOX法)が施行される予定になっている。

日本でのJ-SOXへの関心はいままで今ひとつだったが、これからおおいに取り上げられることとなるだろう。図らずも?「絶好の」タイミングでライブドアが日本でエンロン役を引き受けることとなる。

こういう「活きた事例」がないと話は盛り上がらないということか。かくしてアメリカ型企業統治・企業監査スタイルがスムーズに日本に取り入れられることとなる。

以前、アメリカからの年次改革要望書についてエントリーを書いたことがあるが、あの「拒否できない日本」のなかでも触れられていた会計制度の件は見事に実現の方向へ向かっていると言えるであろう。

今、思えばなぜ自民党は先の総選挙で堀江氏を公認にせず非公式な応援に留めたのか。あまり陰謀史観にとらわれるべきではないとは思うが・・。

関係ないが、J-SOX法が施行される際には対象を一般企業だけでなく、政党、政治家、政治団体、特殊法人、独立行政法人のように政・官の領域まで是非適用範囲を拡げてもらいたい。金の流れや内部統制を
「見える化」し、外部チェックされるべきはこういう領域こそだろう。

これを機に内部統制のモデル国家となることを国を挙げて宣言してもいいし、民主党が本気で政権を狙うならばこういう切り口でアピールするのもいいのではないか。まず民主党が率先することが必須条件だが。

システミックリスク

(2006年1月19日 Livedoor Blogより再掲)

東証が場中に取引を強制的に止めたという前代未聞の出来事が昨日起きたが、これについて思ったことをふたつ。

ひとつめは証券取引というグローバル市場への影響も含めてミッションクリティカルの際たるシステムがなぜこれほど余裕のない設計になっているのかということ。

以前、「東証誤発注の背景」というエントリーで書いたが、東証のシステムの問題は処理できる注文件数や約定件数だけではなく、受発注のレスポンスタイムにも大いにある。スケーラビリヒティの面でも通常はシステム増強のためのリードタイムも十分に考慮して大きめのバッファをもってシステム規模の設計が為されるべきところだが、東証の場合、「想定外」の事態とはいえ、処理件数が一日二日で倍になったわけではないのにこの体たらくは醜態以外の何物でもない。東証の西室会長はライブドアがどうこう言う前にまず自らの責任を痛感すべきである。

特に問題の本質が「注文数が増えた」ということ以上に「約定処理ができない」というクリアリングとのバックエンドにあるというのは個人投資家が増えて小口の取引が増えたとかライブドアショックとか以前に純粋な東証の危機管理の問題である。

ふたつめに、同様の危機管理の問題で言えば、事情説明のためとはいえ具体的な処理・約定可能件数を公表するのはいかがなものかと思う。今回のことで東証のシステミックリスクレベルが丸裸になったわけで、意図的にアタックしようと思えばどの程度で東証を落とせるかという妙な情報を開示してしまった。そんな一国の証券取引市場が簡単に落とせるかと思う人も多いかもしれないが、事実、東証のアラートで一般株主がパニック売りに走って指数が下がったという前例ができた以上、意図的に下げたい勢力が下げたい時に何かをしかけることはそれこそ今後は「想定内」だと思ったほうがよいのではないか。海外から束になってかかられた結果、壊滅的な影響を受けた市場が過去にないわけではないのだから。

結論を言うと、
1)東証は取引時間は厳守すべきである。今でも時短をすべきではない。
2)システムは逐次増強ではなく、一気にかつ大幅に増強すべき。かつレスポンスタイムまで含めた抜本的なシステム更改を考えるべき。
3)システム処理能力の情報は非公開にすべき。ということである。

現在は日本市場に利用価値があるからいいが、利用価値がなくなってきたら良からぬことを考える輩が出てこないとも限らない。当面は信用買もさることながら、「意図的な調整局面」の兆候がないか信用売残の推
移にも注目しておこうと思う。まあ、上がれば下がるし、下がれば上がるのが相場の常であるが。

国土交通省の責任は??(マンション強度偽造問題)

(2005年12月20日 Livedoor Blogより再掲)

なんだか一斉強制捜査だ、オウム事件以来の規模だと騒いでいるが、この問題では国土交通省が「認定」したといわれる構造計算ソフトがいとも簡単に一建築士によって偽造されたという事実が結構軽んじられているような気がしている。

当然、経済設計などという適当な概念で手抜き施工をしたり、知っていながら販売していた人が悪く、責められるべきなのはそのとおりだが、国土交通省がいかにも「責任の所在」を追及する側に回っていることには違和感がある。

ERIやイーホームズからすれば、「国の認定ソフトがまさか偽造されているとは思わないからチェックが甘くなった」と言えるし施工事業者からすれば建築確認書が降りたからそれにしたがって施工したのだと強弁しようと思えばできないこともない。

さかのぼっていくと大元の責任の所在が国土交通省にもあるとはいえないだろうか。税金で救済措置を発表したことで迅速な対応をとっているかのように見せている国(国土交通省)だが、国民の目を巧妙にそらしているとしか思えない。

東証誤発注問題の背景

(2005年12月14日 Livedoor Blogより再掲)

一部外資系証券会社が混乱に乗じて莫大な利益を得て、その正当性や企業倫理にも話題が飛び火している本件だが、外資系証券トレーダーの知り合いの弁では

「前々から指摘されていたシステムの脆弱性に対して必要な措置をとらなかった東証の責任は大きく、今回の件で外資系証券会社は東証に対してある種『懲罰的な』行動をとったと言える」

ということだった。この意見が証券トレーダーの総意とは思えないが前々から東証のシステムに対するトレーダーのフラストレーションは非常に大きかったとのことである。私から見ると東証はまだましでヘラクレスなどは取引する場に値しないと思っているほどだが、彼らからするとNYSE(ニューヨーク証券取引所)やNASDAQの発注から確認までのラウンドトリップレスポンスタイムを1とすると東証のそれは数十倍から100倍の時間がかかるのだと言う。

それにしても「懲罰的」とは、やはり後付であぶく銭を正当化しているような言い草にしか見えない。発行済み株式数をはるかに超える買発注をイレギュラーと知りつつ意図的に行ったことについては倫理違反であるとの謗りを免れないであろう。

実は、私が本件で注目しているのは別のところにある。なぜみずほ証券が発行済株式数を超える売り注文を場に出すことができたのか?という点だ。個人が行う場合、強制的にそんな注文を出すことはできな
い。なのに、なぜみずほ証券はそんなことができたのか?証券会社はやろうと思えば発行済株式数をはるかに超える莫大な空売りをしかけることができるということなのだろうか?

証券会社の自己勘定売買用のシステムでだけできる取引がある、しかも時間内にそれができるというのは取引に関するイコールフッティングの観点からはとても大きな問題なのではないだろうか?証券取引法で「見せ板」と呼ばれる意図的な架空注文への処罰規定が強化されるとのことだが、今回のことで証券会社は発行済株式数を超える数の架空注文をやろうと思えばできるということが判明した。今回はそれを東証のシステムの不具合で引っ込めようと思ったのにできなかったらカモになったわけで、そうでなければきちんとした
価格と数量で儲ける目的で大量の売買注文ができたということだ。

株式市場は個人投資家の大量流入で空前の投資ブームだ。ボーナスシーズンを当て込んで投資特集も大々的に組まれている。しかし、このあたりのカラクリが解明されていないと個人投資家はいつかの時のようにカモられて終わるだけなのではないか?

今回、みずほ証券と東証から金を巻き上げた外資系証券会社にも同じことができるシステムがあるのであれば、自己責任による安全な取引など、少なくとも個人投資家には望むべくもない。

と書いた後に「UBSなど6社全額返還へ 株誤発注の計168億円」というニュースがはいってきた。ますます怪しい。悪者になって余計なシステムの裏を嗅ぎまわられる前に恭順の意を示してあとはお咎めなしを狙っているのでなければいいが。

性犯罪、幼児犯罪防止と予備罪

(2005年12月4日 Livedoor Blogより再掲)

予備罪という言葉がある。文字通りまだ発生していないが発生について予見可能になった段階で抑止しようという考え方で、現代の日本では、殺人や放火、強盗、通貨偽造のような重大な犯罪についてのみ非常に限定的にしか適用されていない。

なぜなら戦前の治安維持法といった悪法のおかげで予備罪イコール「個人の思想を自由を侵すもの」「警察権力を必要以上に強くするもの」という固定観念が強いからだ。特に弁護士、弁護士出身の国会議員にこうした懸念をもつ人々が多い。

しかし、昨今の子供・幼児向け犯罪の多発を考える時、この領域については予備罪の適用を拡大すべきではないかと思っている。もはや子供・幼児向け犯罪は殺人や放火、強盗、通貨偽造と並んで重大な抑止策を講ずるべき領域とはいえないだろうか。

たとえば、幼児ポルノについては販売を目的としない単純所持は現在では違法ではないが、これは本当に妥当と言えるのか?もちろん共謀罪のように大きく予備罪の網をかけることには私も慎重なスタンスだが、こと犯罪がいったん発生した場合に、その犠牲者がいたいけな弱者であり、犯罪者の邪悪な意図が成立する
可能性が高い場合は、通常よりも防犯としての予備罪適用を厳格に行ってもよいのではないか、と思うのだがどうだろうか?

ニュースで犠牲になった子供さんの様子を聞くたびに同じ年頃の娘を持つ一人の父親として本当に心が痛む。ご両親の無念さはいかばかりであろうか。これから大きく未来が開けていくであろう年代で、まったく理由が理解できない犯罪者の論理で子供を失ってしまう。

こんなことが本当に許されていいのであろうか?私は凶悪犯罪を犯して社会の安定に対して重大な挑戦をした以上、その犯罪者は通常の人権を主張する利益を喪失したと考えている。もう彼らはある領域においては人権の主張ができなくすべきだ。だってある人(被害者)の人権を侵害したのに、自分の人権保護だけ主張するなんて認められない、絶対に。

「起きてからでは遅い」、そういうことはあると思う。子供向け犯罪というのは、これからの日本で予備罪的であっても抑止しなくてはいけない領域だ。

次の消費税率アップ前に耐震強度偽造は再発する

(2005年11月25日Livedoor Blogより再掲)

住宅ローンの一定の割合を10年間所得税額から控除しますよ、だから家を買うなら今のうちですよ、という住宅ローン減税というのを政府が数年前にやった。

今なら10年間控除できますが、来年からは控除期間が短くなりますよ、という「追い込み」もあった。中には施主自らが契約とローン実行をせかした例もあった。

あの時期に建売住宅・マンションを買った人は少なくないと思う。しかも無理なローンを組んでだ。

こういう政府がグルになった消費促進をやると今回のような歪みは必ず出てくる。建てる業者側も無理して建てる輩が出てくることは予想がついたことだ。

次は消費税率があがる時に「家のように大きな買い物をするなら、消費税が上がる前に限りますよ。この差はバカにならないですよ」という営業トークがあって、訳ありの新築格安物件が出回ることになるに決まっている。

私には今回のことがたった一軒の設計事務所と一部のディベロッパーだけがやっているとは到底思えない。日本中で同じような建物は無数に存在すると思う。マンションだけではないはず。通勤ルートにあるあの家だってあの家だって、駆け込みであっという間に完成し分譲された。

実際の大地震という「テスト」で判定を下すにはあまりに代償が大きい話だ。

2007年3月20日火曜日

憲法改正問題と皇室女系問題、そして靖国問題

(2005年11月22日 Livedoor Blogより再掲)

以下、あえて「祭」られる危険性を覚悟でタブーに触れる。

私は常々皇室というのは現在の日本国憲法の精神を純粋に希求し、体現することを国民に身をもって訴えることに大きな存在意義があるのだと受け止めている。また皇族の方々もそれが自らの使命だと考えていると(大変勝手ながら)思う。

だからこそ平和を希求し、国民が健康でおだやかな生活を営むことを趣旨とする各種式典に参加しているのだと。

だからこそ、多くの税金から皇室費用を捻出し、世俗から一種隔離してでも純粋に憲法の理念を追求する理想的な日本国民の象徴(モデル)としての生活を送っていただいているのであろうと。又そうあることが国民の間で一定のコンセンサスを得ているのも、国民は日々の生活に追われて必ずしも憲法の理念を追求する生活は送ることはできないが、皇室に理想を投影し皆で自然とその存在を称えるているからなのだと。でなければ戦後世代が圧倒的になった現代において、英国王室のようにゴシップにまみれることなく国民から深い敬意と共に親しまれていることの説明ができない。(私は皇室に対してとりわけ深い思い入れがあるわけではないことを断っておく。ゆえに、客観的にこの文章を書いているつもりであり、またそうだからこそある方面の人々からすると配慮なく淡々と書きすぎているように見えるかもしれない。)

その姿勢から垣間見えるポリシーの中で最も強いものは、戦争の永久放棄なのではないだろうか。そしてそれは先代の天皇陛下に暗黙裡に課された太平洋戦争に関する戦争責任故であるような気がしてならない。皇室は明示的には「お言葉」を出さないが、その(日本国憲法の理念を純粋に追求する)姿勢を以ってある種の贖罪を続けているような気がするのだ。

このように考えると表題の3つの論点にある種の方向性が生まれる。

まずは憲法改正問題だが、国際貢献や集団的自衛権の観点から憲法9条問題が多く取り上げられる。それはそれでいい。しかし、現行の日本国憲法の理念を純粋に体現し希求するという姿勢をとっている皇室に対して、誰がポリシーの変更を説明し、納得させることができるのだろうか。そこに皇室の意思はまったく反映されなくてもいいのだろうか?憲法改正は皇室のあり方、行動規範を変えることを意味しないのだろうか?
私はこの点に非常に違和感を感じる。ある種、贖罪にも見えるストイックな理念の体現姿勢にも関わらず、「憲法を改正しましたから、今後は自衛隊の国際派遣式典においてもお言葉を頂戴し、激励していただきたい」と誰かが言ったら皇室は納得するであろうか。

実効性はともかく、世界中で一切の戦争行為を放棄するということを理念として掲げる国があってもいいのではないか?お国のためには生命を投げ出すことも尊い、他国の領土や人の生命を奪うことも大義がある、そういう異常な状態を肯定してしまう恐ろしさがあるからこそ、戦争は否定されるべきだし、日本はそれを声高に主張し続ける権利と義務を持った数少ない国ではないか?皇室は行動を通してそうしたメッセージを発信し続けているのではないか。そう考えると安易に改憲論を進めることはどうかと考える。

次に女系天皇を容認するかということだが、少なからぬ人々が万世一系の男系皇統を絶やすべきではないと言う。これにも疑問を感じる。シャーマンあるいは神格化されることが皇室の機能であった時代には遺伝子の継承たる男系の維持には意味があったかもしれない。しかし、今の皇室はそういう存在ではない。歴史的にも本当に万世一系であったかどうかも証明はできないし、実際の系譜には女性天皇の時代も何度もあった。今更神話的な皇統の系譜を形式的に維持することに何の意味があるのか。前述のように、現在の皇室は国民統合の象徴(モデル)であって、その意味では国民が皇室を自ら、および日本国民全体のモデルであると思える限りにおいてはそれが男系であろうと女系であろうと機能的には際立った差異はないように思え
る。

最後に靖国問題だが、すべては現在、皇室が靖国参拝を行っていないという明確な事実に帰結すると思う。
私の考えが正しければ、現在の靖国神社というものの位置づけが日本国憲法の理念にそぐわない存在であるとみなしているからこそ、理念の体現者たる皇室は参拝できないのではないだろうか。もちろん、皇室も宮内庁もこれを明示的なメッセージで発信はしない。しかし、そう考えるととてもクリアにその行動が理解できる。確かに靖国は戊辰戦争以降、国のため(正確には皇室側としての国なので、戊辰戦争時に幕府側の戦死者だった人は逆賊として祀られていない)に命をなげうった人を祀った場所であり、本来ならばその精神の因って立つところの皇室が参拝しないのはおかしな話である。ではなぜ?と考えると、やはり皇室が現行憲法の精神をその行動原理として自らに課しており、その規範たる憲法と靖国の理念は並存しえないものであると皇室が考えているからに他ならないと思うのだ。

近い将来、憲法が改正されて海外における一定の武力行使が認められたとしよう。また、その戦闘で戦死した自衛隊員?が(本人の意思に沿うか反するかはともかく)靖国神社に祀られたとしよう。天皇陛下や皇室は靖国に参拝するであろうか。私はおそらくしないと思う。そういう静かな自己主張があると今の皇室を見ていると思うのである。

皇室の深い思い、苦悩すべてを伺うことは到底できないが、今、議論になっていることを日本人としてどうとらえるべきかを考える時、皇室の姿勢と日本国憲法の理念の関わりはある種の解をわれわれに示唆しているように思えるのだが、どうであろうか。

「通信と放送の融合」の本質-楽天問題最終章

(2005年11月22日 Livedoor Blogからの再掲)

「銀行側からTBSと楽天に妥協案が提示されましたけど、何かコメントでないんですか?」というメールを多くの方にいただいた。

しかし、このエントリーのシリーズを最初から読んでいただければ(かつ「楽天 敗北へのカウントダウン」シリーズも)おわかりのように、この話はもう最初から結論が出ている。

ポイントを以下にもう一度まとめたい。

・通信(ネット)と放送の融合と言われていることの本質は放送事業者(及び電通等の広告代理店)が、現在ほぼ独占状態にあるスポンサー企業の広告宣伝費、販売促進費を通信(ネット)系事業者が分捕りに行っているということに他ならない。

・そういう観点から考えると現在、コンセプトとして正しいアプローチをしているのはUSENのGyaoと最近発表されたソフトバンクのTV Bank構想だけである。潜在的には今後、日本市場に導入されるであろうアメリカのTiVoのビジネスモデルだが、これはまだ日本での具体的な事業展開イメージが発表されていない。

・コンテンツに特定の紐付けを行うことは利用者の枠を狭めることになり、得策とは言えず、むしろ地上波テレビコンテンツ、映画コンテンツに可能な限り広い網をかけることが利用者の選択肢を拡げ、ひいては新たな広告媒体としてのクリティカルマス獲得への近道を意味する。

・コンテンツサービス事業者で月々の利用料、Pay Per View課金を行うのは敗北シナリオである。理由は日本の消費者は無料で高品質な地上波テレビコンテンツに慣らされており、欧米のようにCATVや衛星放送サービスがデフォルトで「コンテンツは有料」という素地のある土壌ではないからである。この傾向は日本だけでなくアジアの消費者でより顕著になる。(スカパー、WOWOW、その他の有料コンテンツ配信サービスが日本では伸び悩み、ほとんどが成功とはいえないのは、このためである。)
 
・よってコンテンツサービス事業者は広くかつ限りなく無料に近い価格でコンテンツを提供し、収入はむしろ集めた加入者の属性情報を加工することにより、自らを新たな広告媒体(メディア)とすることによって得る広告収入モデルを志向するしかない。

・つまりネットで今の地上波TV局のビジネスモデルを再現するのである。新しいモデルが違うのは、利用者の属性情報をデータマイニングしてよりタイミング良く、気の利いた広告がさまざまなデバイス経由で送られてくるため、従来の広告よりも投資効果が高いことである。ROIに敏感なナショナルスポンサーがこちらにシフトすることは明らかである。

・一方、TV局はディストリビューションの物理的なチャネルが早晩電波からネットに移行することを強く意識しなければならない。地上波デジタルという言葉があるが、2011年にはもう「波」のビジネスに頼る必要はない。地上にある光ファイバーベースのネットワークが十分に「波」のオルタナティブとして育っている。TV局は自らネット事業を行うか、ネット事業者と提携・買収するか、いずれも行わずに番組制作会社に専念しつつ、新興ネットメディア事業者から広告宣伝費収入のレベニューシェアを受けるモデルをイニシアティブのあるうちにネットメディア事業者に飲ませるかを選択しなければならない。

地上波デジタルサービス対応などに投資している場合ではない。危険を冒して上場したのは地上波デジタル化投資のためのやむにやまれぬ手段だったのはわかるが、もはやその意義は消滅しつつある。今となってはせっかく手にした資金は新たな市場で広告利権を有効に確保するために使われなければ株主説明責任を果たすことは今後できない。

・総務省は「波」のビジネスをベースにした行政や消費者誘導を早期にあきらめ、ブロードバンドネットをベースにした新たなビジョンを策定しなくてはならない。そして空いた周波数帯を携帯だけではなく、カーナビ、無線LAN技術、その他今後登場する各種モバイルサービス端末すべてに等しく配分し、それらの高機能化を促さなければならない。家電メーカーは消費者やキー局の地方ネット系列局が、地上波デジタルのためになんか誰も新規投資をしないことを早く意識し、むしろ家庭内でTVとPCのディスプレーをシームレス
で使えるデバイスやパーソナルディスプレーの開発に集中した方が良い。(SANYOやパイオニアの経営陣がこのエントリーを見ていたら一発大逆転のヒントはここにある。総合音響家電メーカーである必要はないが、この領域で生き残れれば十分に復活の目はある。)

・今後のキーワードは「タイムシフト」「プレースシフト」「デバイスシフト」である。ユビキタスと大括りにされるこれらのコンセプトだが、利用者に明確にイメージさせるためには従来の「いつでも、どこでも、誰とでも、どんな端末ででも」求める情報にアクセスし、コミュニケーションを可能とすることが求められる。

・日本における通信(ネット)と放送の融合像はプッシュ型コンテンツ配信をTVコンテンツが担い、プル型のコンテンツ収集をネットのRSSベースの検索技術が担う。これらは近い将来、「パーソナルポータル」という形で「利用者の手元」で融合する。繰り返す、融合の場はコンテンツ提供者サイドではない、利用者の手元で放送と通信は真の「融合」を果たす。

提供者側で融合をさせようとするあらゆる試みはすべて失敗する。楽天はここを見間違っている。ライブドアは間違いに気がついたが、次の手が打てていない。ソフトバンクはじっくりと両者の動きを見て、最善の手を見出した。まさにプロ野球参入の時と同じである。

・上記の考察からコンテンツをプッシュ、プル両サイドで利用者の手元で融合させる事業者が次世代の覇者である。

具体的なキープレーヤーは、USEN・ソフトバンク(ヤフーではない。ヤフーが従来型ポータル事業を志向する限り、パーソナルポータル陣営には勝てない)、インデックス、グーグル、TiVo、アップル、アマゾン、eBay、Skype、イーアクセス、CCC、各種ネット広告事業者、自らのメディアとしての可能性にいち早く目覚めた携帯電話サービス事業者、消費者属性情報を効果的にデータマイニングし、ダイレ
クトかつマイクロマーケティング広告につなげることができる、かつ属性情報と個人情報を峻別して安全に管理することができるデータ管理・加工事業者「だけ」であろう。NTTグループが勝ち組に残れるかどうかはドコモの携帯事業リソースを固定ネット系とどれだけ一体的に提供できるか、上記のプレーヤーと効果的なパートナーシップをどれだけ早期に確立できるかにかかっている。すでに出遅れているが今後一年以内にUSEN、ソフトバンクレベルに追いつくビジョンが出せれば、融合サービス提供事業者として、新たなメディア企業として生き残りができる。ダメだった場合は、「相変わらず月額利用料で食っていく旧世代ネットサービス事業者」としてジリ貧になるであろう。


・マス系のネットサービスは近い将来、広告収入を前提に限りなく無料に近くなっていくことを余儀なくされる。携帯電話料金も通話に関する料金は5年から10年スパンで無料化に向かうことが避けられないであろう。

・もちろん、無料では利用しない消費者も多く存在する。それは有料でもいいから、自分の属性情報を提供し代わりに絶え間なく広告を受けるのが嫌だという層である。マス消費者のネット系サービスの利用動向は将来的には二極化するであろう。

長々と書いたが、私は今後楽天がTOBをしようと、それが成功しようと失敗しようとあまり関心がない。面白おかしく取り上げることはするかもしれないが。

ただ、楽天は少なくとも通信と放送の融合という観点からは最初の段階でボタンを掛け間違っている。そもそものアプローチが誤りなのである。

「3年後、『三木谷の言っていたことは正しかった』と誰もが言う時代が来る」と三木谷氏は言う。でも、あえて言う。3年後そういう人は誰もいないと私は確信している。